季語「春一番」は壱岐うまれ

壱岐対馬つかず離れず冬の靄

(防潮堤の文字が目立つ)

壱岐では、郷ノ浦に宿をとった。早朝に漁港を散歩すると、快晴の玄界灘は水平線まで雲一つなく、素晴らしい深い海の色だった。句にしたような靄など全くない。

入り江の防潮堤に進むと、大きく書かれた「春一番発祥の地」の文字が目に入った。「春一番」は春先の強風のことだが、「発祥の地」とは何の意味だろうと、いぶかしく思い近寄ってみると慰霊の碑がある。

さらに背後の丘の元居公園になっていて、上ってみると、白い2本の「春一番の塔」が立てられていた。そこに詳しい解説版があり、要約すると次のようである。

 

安政6年(1859)の旧暦2月13日、五島沖にて鯛漁をしていた郷の浦の漁船は、突然の強烈な南風に襲われた。そして船は転覆し、53名の漁民たちは船もろとも海中に消えていったのである。

漁民たちは、春先に吹く南方からの暴風を「春一番」「春一」「カラシバナオトシ」と呼んで以前から恐れていたが、天候の急変になすすべもなかった。

事故後、元居浦では五十三霊慰霊碑を建立し、毎年その日は、どんなに海が凪だろうと、沖止めをして海難者の冥福を記念する行事を行っている。

春一番」の用語は、壱岐の調査に訪れた民俗学者宮本常一の目にとまり、俳句の季語として紹介(*1)され、以後マスコミでも使われ、気象用語として定着している。

(*1 1959年に平凡社版『俳句歳時記 春の部』(富安風生編))

(慰霊碑)

気象的には、日本海側を発達した低気圧が通り、それに向かって南から強風が吹き込む、低気圧が通り過ぎた後は急に気温が下がることがある、という状態のようだ。

 

春一番」は、春への期待を含んだ温かい言葉だと思っていたが、まるで逆であった。そういう目で、「俳句歳時記 春」(角川文庫)を見ると、

貝寄せ風、涅槃西風(ねはんにし)、比良八荒、春疾風などが載っていて、いずれも春先に吹く災害をもたらしかねない強風のことである。それを日本各地の風土の中でそれぞれの言葉に定着させたものであり、味わいのある季語(言葉)だと改めて思った次第。

 

春一番島に神父のおくれ着く  中尾杏子