庭十坪鶏糞二袋寒の肥
句のとおり私は毎年この時期、庭木に鶏糞を二袋ほどこす。あちこちに穴を掘って適当に埋め込むだけだが、これを年中行事としてやっている。
この時季に春に備えて樹木や果樹などに肥料を施すことを「寒肥」といい、俳句では季語に定着していて、かんごえ、かんぴ、かんごやし、などと読む。
肥料の知識はないが、本当なら鶏糞よりも牛糞のほうが馬力がありそうなのだが、すぐ隣家なので臭っても困る。それで鶏糞を使っている。先日鶏糞を農協に買いに行くと、近くの美味しいと評判の卵やさんからでた鶏糞なので、
「新鮮ですよ」という。
「新鮮じゃあ困るんだよ」というと、もじもじして
「すいません。良く発酵処理してあるので、臭わないですよ」
俳句歳時記を開いてみると、寒肥は、どうやら下肥を畑にまくというイメージが強いようだ。一昔前まではそうだった。田舎育ちの自分にもそれは体験として知っている。今だって片田舎にいけばそうなのかもしれない。
例えば、こんな句も載っているが、現代都会人には通用しないだろう。
風の中寒肥を撒く小走りに 松本たかし
寒肥をまくというよりたたきつけ 川島彷徨子
まだ寒く土も硬いこの時期に、肥料を施していると、柔らかい緑の芽吹きや日を浴びて開く花たちのことを思い浮かべる。チェコのカレル・チャペックもそうだった。「園芸家12か月」の2月では、土の改良にあの手この手で精を出す姿をコミカルに描いている。
路上に落ちている馬糞を使いたのだが、
「ただ、微妙な羞恥心にひきとめられて、園芸家は馬の落とし物を往来で拾い上げないだけだ。しかし、舗道の上にかなりのかさの肥料がひと山ころがっているのを見るたびに、園芸家は「あアあ」と深いため息をつく。」
このエッセイは1929年頃に書かれているらしい。そのころ多分チェコのプラハでは、馬が往来を闊歩して馬糞が沢山ころがっていた、そんな光景も眼に浮かぶ。日本の田舎でも戦後しばらくまで似たような状況だった。
狭い庭だから、半日仕事で寒肥は終わり。早く暖かくなって、コロナが収まって、のびのび遊びに行きたいものだ。
この挿絵はカレルの兄の描いたものだが、彼はナチの収容所で命を落としている。