「薄氷」(うすごおり)という銘菓

薄氷(うすらひ)の舌にもふれず融けにけり 

知人から面白いお菓子をいただいた。

「薄氷」(うすごおり)という、富山県小矢部市石動の「薄氷本舗 五郎丸屋」さんのお菓子で、知る人ぞ知る銘菓とのこと。甘いものにはあまり関心がないわたしが、知る由もない。しかしこれには目を見張った。

箱を開けると、まずフワッと綿があり、その下から小さな台形の形をした厚さ1㎜程の薄いお菓子が出てくる。一目で「ああ、これは薄氷だ」、と銘の意味が理解できる。そうすると綿は雪なのかもしれない。

解説を読めば、

「看板の銘菓「薄氷」は、宝暦2(1752)年に5代目五郎丸屋八左衛門の手によって誕生しました。北陸の深い雪がようやく溶けはじめる如月、弥生の早朝。田んぼの水面にうっすらと張った、今にも割れそうな氷を干菓子に映したものです。」といい「真煎餅に和三盆糖を塗った干菓子」という説明が書いてある。

繊細で儚くてもったいないけれど、パリッと割って口に入れると、氷のように融けてしまう。そうして和三盆の品のよい甘さが口の中にほんのりと残る。しばらくは薄れていく甘さの余韻に浸るのがたのしい。

 

暖かい静岡市では、水が氷るのは年に数度で、この冬もまだ2日薄氷が張った程度である。けれど私は奥信濃の厳しい寒さの中で育ったので、この「薄氷」は私の体が覚えている記憶をよびさましてくれた。戦後間もないころの田舎の冬である。

 

晴れた日の夕方から冷え始めると水も空気もぴんと緊張して、やがて薄氷が張ってくる。氷ってくるときに微かな音をたてるのだが、それはカナカナ、カナカナという金属的な音だった。そんな時人びとは動物的に身構え、「寒(かん)じるぞ」と、ありったけの備えをしたのだった。雪の降る日はむしろ暖かかった。

薄氷というのは、まだまだ厳しさの入口あたりの風情なのだった。

極寒の朝は一面の霧氷で、陽が昇り始めるとダイヤモンドダストがきらきら光る。千曲川からは川霧が猛烈に沸き上がっていた。子どもらは道の水たまりの氷を踏みながら登校したが、氷はガラスのよう割れて刃物のように尖った。その頃はろくな防寒着もなく、学校にたどり着く頃には小さい子らはすっかり凍え切って泣く子もいたほどだ。教室に入って、石炭ストーブに火をつけて、煙突のまわりに設えてあった金網の籠に弁当箱を入れて、弁当を温めておいた。たくあん等の匂いが漂ってくるなかで授業が始まる。私の担任は元気のいい若い女教師だった。彼女は綴り方教室を実践していて、みんなに日記をたくさん書かせた。そんなことが懐かしく思い出される。

 

このお菓子は春先の田んぼの薄氷とのこと。そんな時期には陽が出て空気が緩むと、薄氷はガサっと音を立て少しずつ崩れていく。それはもう春の音だった。雪国のみんなが春の来るのを待っていた。

 

ひとつのお菓子の紡ぎ出す物語。

銘菓の多くは城下町で育まれる。しかし五郎丸屋さんのある石動は地図でも見ても大きな城下町ではなさそうだ。そこからこうした詩情豊かなお菓子が生まれ2世紀を超えて作り続けられている。多分装丁などは変化しているのだろうが、この変わらぬ人気の不思議は、お菓子に限らず商品というものについてもいろいろ考えさせる。

柄にもなく私ものせられてしまった。