早咲きサクラと小泉八雲

初サクラいざ生きめやもこの朝堀辰雄風に)

カワヅザクラは、ピンクが鮮やかでとても早咲きだ。近所にもたくさん植えられていて、1月の半ばから、もうちらほら花が見えてきた。その中でも特に早い一本があったので、写真を撮ってきた。盛りの時季よりはまだ色が薄い気もするが、荒涼としたこの時期に不釣り合いなほど艶やかだ。

カワヅザクラは、伊豆の河津町で発見された桜で、2月になるとご当地は春まっさきの桜を見に観光客でごった返す。オオシマザクラカンヒザクラの自然交配種だと言われている。いずれも早咲きの種なので両親の特性を受け継いだのだろう。春を待つせっかちな心に応えてくれる花ではある。

 

早咲きのサクラと言えば、たまたま開いていた小泉八雲の本に「十六桜」という超短編があった。

伊予の國(愛媛県)にある老桜で、不思議なことにまだ雪の降る陰暦の一月十六日に咲き、しかもその日しか咲かないという。

ある侍の庭にあった桜は美しい花を咲かせていたが老いて枯れてしまった。父母祖先の時代から慈しんできた桜であった。孤独な侍は嘆き悲しみ、「自分が身代わりになるから、もう一度花を咲かせてください」と、桜に懇願し、樹下で作法にのっとり切腹する。すると桜は直ちに花を咲かせた。それが1月16日なのだ、という話である。

これは今年の暦では2月6日に当たる。早咲きも珍しくなくなった現代では、びっくりするほどのことでもなくなってしまった。

この「十六桜」の原典は「文藝倶楽部」第7巻第3号の「十六日櫻」であり、淡水生の筆になるものだという。発行は明治34年2月である。原典では、老人が1月16日に樹下で,

咲いてほしいものだ、と呟いたところ花が咲いたというだけのもので、切腹の話もなく単純なもの。比較してみると、八雲さんがいわゆる日本的な美で、こってりと味付けをしていることが解る。西行本居宣長など桜狂いの日本人の美意識を盛り込んだのだろう。

こんな風に日本が、サクラや切腹とともにヨーロッパへ伝えられたのだろうな、と当時の情報のバイアスを感じさせられた。ウクライナ侵略は言うまでもなく、こうしたバイアスは現代でも似たようなものかもしれない。

 

もうじき緋寒桜があのぼってりとした深緋色を空に拡げる季節が来る。

 

参考: 小泉八雲「怪談・奇談」平川祐弘編 講談社学術文庫