冬のスズメ

冬雀寒夜をいかに耐えたるや

(雀とメジロ

 

庭の餌台に、雀が群れて来るようになった。多い時は10羽ほど群れてくる。雀は昔から人家の近くにいて珍しくもなんともない鳥なのだが、意外に我が庭には寄り付かない。そして来ても警戒心が強い。

数が減っているという話は聞くが、田んぼではたくさん群れているのをしばしば見かける。

 

雀の俳句と言えば、一茶だろう。調べると300句以上作っている。

 

我と来て遊べや親のない雀

しよんぼりと雀にさへもまゝ子哉

 

と継母だったわが身を仔雀に投影している句も多い。また

 

霜がれや米くれろとて鳴雀

鳩雀来よ~おれも貰(ひ)餅

 

冬場にエサのない雀に同情している句も多く、米や麦をいくらかまいてやっていたのだろう。この辺は一茶の独擅場である。私の餌場も似たようなものだ。

 

寒雀、冬雀という季語があるし、冬には翅が増えてふっくらしているので、ふくら雀という可愛い言葉もある。

だが、「本来は食鳥としての雀を寒雀と呼んだ。近年では食味としてよりもその愛らしさを読む句が多い。」

という解説を読んで、エッと驚いた。そうか雀は食用だったのだ。今でも猟は行われていて、猟期は11月15日から2月15日なのだそうだ。そういえば私も興味半分、焼き鳥屋で、文字通り雀の焼き鳥を注文したことがある。小さい頭蓋骨もついていて、肉といってもわずかについているだけ。噛むと骨はもろく砕けた。後味は決して良くなかった。

 

子供の頃を思い出せば、冬には空気銃を手にした猟師が来て雀を撃つ姿が見られた。猟師といっても街から来た人のいでたちであり、人家の近くでも平気で発砲していた記憶がある。彼は撃った雀を10羽ほど腰にぶら下げていた。あれが炭火で焼かれたのだろう。

 

次の写真は、雀だと思っていたら、よく見ると胸から腹が黄色いし、眼付が鋭い。調べると「アオジ」かもしれない。そっくりなのだ。

メジロも来るのだが、かれらの目当ては専らミカンで、スズメが餌をついばんでいるのを見て何となく悔しそうにしているだけ。こうした雑穀を食べないみたいだ。

 

けれど静岡の暖地では小鳥も幸せだと思う。雪国では雪におおわれて餌はとれないし寒さも厳しい。奥信濃の閉ざされた集落で冬のスズメを観察した「雪国のスズメ」(佐野昌男  誠文堂新光社) を思い出す。