オモダカもハスの盛りに咲きけるを
(オモダカ)
蓮を見に、朝食を済ませて直ぐに出かけた。車で5分ほどの沼地。
このところ極端な暑さなので、とても蓮見に行く余裕などがなかったが、今朝は雨模様で幾分涼しい。
午前中の花は、やはりきれいだ。
蓮の花は、午前中に咲いて夕方また閉じるという。2、3日それを繰り返した後、散ってハチスが残る。花はきれいだが、ハチスはじっと見ていると逆にたくさんの眼で見られるようで蕁麻疹になりそうだ。
蓮葉の下にオモダカがたくさん咲いている、が、あまり気に留める人もない。私はハスのような豪華な大きい花は苦手なので、脇に咲いているオモダカなどに情が移ってしまう。
ハスは確かに美しいが、いささか仏壇的で、お説教臭くてまともに相手をしたくなくなる。
一茶などはその最たる人で、句を見るとその徹底ぶりが分かる。データでハスの句を拾うと119句ヒットしたので、少し拾ってみる。
蓮見には、虻や蚊がつきものだったようだ。
したゝかにさして去けり蓮の虻
人喰た虻が乗る也蓮の花
花盛蓮の虻蚊に喰れけり
また、決して水もきれいではない。そして沼地には貧しい人々がスラムを作っていたのだろうか。ハスを美化などしないで、リアルに叩きつけるようによんでいる。
さく蓮下水~のおち所
張出しや蓮の台の小食小屋
蓮池にうしろつんむく後架哉
一茶の現実生活からは、蓮の花を極楽と重ね合わせることなど、馬鹿らしくて出来なかったようだ。ハスのイメージに付きまとう高貴さ、極楽、お説教を厳しく拒否し、笑い飛ばす。
大かたはあちら向也はすの花
咲花も此世の蓮はまがりけり
いつの時在家には咲く蓮の花
泥中の蓮と力んで咲にけり
まあ、ハス自体に罪はないので、こうした句ばかりではかわいそうな気もする。僅かだがこんな句もあることはある。
門~は残(ら)ず蓮の月よ哉
雀等が浴(あび)なくしたり蓮の水
私は花よりもレンコンのほうがいい。