レンコン掘り

蓮根(はすね)掘って探って掘って泥となり

 

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家の近くの湿地では昔からレンコンが栽培されていてローカルなブランド品となっており、正月を控えたこの時季、収穫姿があちこちで見られる。一部では水圧を使って掘り出しているが、大部分は手掘りの小規模経営である。しかも大抵、掘り手はお年寄りだ。

 

車を止めて、少し遠くから見ていたけれど、作業は遅々として進まない。根は深くに入っているので、1mも穴を掘り込んで、その穴に体を埋ずめている。でもなかなかレンコンが出てこない。いったい一日で、どれほどのレンコンが掘れるのだろうか?

 

毎年夏には、この辺りのレンコン畑にはハスが一面に咲いて花園となる。

仏教はハスの花が好きで、仏様はいつもハスの花に乗っている。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」というのだそうだ。高貴で穢れないということか。

しかし考えてみれば、娑婆はまさにこの泥の中であって、凡人はこの中でしか生きることはできない。毎日ゝ様々なニュースが報道されている。中学生の殺人があり、オーバードウズ死があり、森友の組織闇がありワーキングプアがあり生活苦、コロナ禍、米中対立。いさかい、いがみ合い。そして少しだけの慈悲。

こんな中で、餓鬼はハスの根まで掘って食べて生きている。泥に染まり泥の中そのものだとも思う。

 

仏さんはレンコンは食べなかったのだろう。多分まずかった。けれど、改良されて今、レンコンは美味いのだ。花もいいが団子もいいのだ。

先日、寂聴さんが亡くなった。彼女の出家は、この欲と苦しみの世間という泥から身を離す、厭離穢土の決断だった。そしてハスのような穢れない美しい花となったのか。・・・そうかもしれない。

レンコン掘りのおじさんを見ていたら、こんな思いが頭をよぎった。

 

(参考:https://zukunashitosan0420.hatenablog.com/entry/66111727