酔え笑え花すっぱだか我すっぱだか
満開の桜の下を歩いている。香りがうっすら漂ってくる。
溢れるような万朶の桜に包まれると、桜の花の下には死体があるとか、桜は神の依り代でこれを頼りに神が下りてくるとか、何かあの世的な、魔的なさまざまな想像を呼びおこされる。そうして降り注ぐ花明かりが身も心も包んで天井へ運び上げてくれるような幸福感に満たされる。
それにしても、花は植物の生殖器である。海では月夜の晩に、サンゴが一斉に卵を放出する映像をテレビで見るが、桜の満開も全く同じことなのだろう。とすると桜の女神、コノハナサクヤヒメはこの夜、発情のピークを迎えていて、素裸になって男を待っているに違いない。そうして神と交わった男たちはみな恍惚のうちに溶かされ、花の体内に吸収されてしまうに違いない。
と、一瞬そんな極楽的な妄想に陥るのだが、それもつかの間。哀しくもすぐに、階段に足を取られる平凡なうだつの上がらない男に立ち返ってしまうのがおちなのだ。
来年はなきものゝやうに桜哉 文化1年 一茶
苦の娑婆や桜が咲ば咲いたとて 文政2年 一茶
一茶は、悲しいかな桜のうつくしさに浸ることなどないようだ。
ソメイヨシノが作られて広がったのは江戸末から明治といわれるから、一茶の頃にはまだ、今のような風景はなかったに違いない。上野公園は芭蕉の頃からすでに桜の名所であったようだが、ソメイヨシノではなかったはずだ。もっともっと多様なサトザクラが咲いていたに違いない。
吉野山の桜もメインはヤマザクラだと聞いている。従って西行法師の「花のしたにて春死なん」は、吉野に多いシロヤマザクラのイメージかもしれない。ヤマザクラは一般には葉と花が一緒に出るので、ソメイヨシノのように真っ白にドーランで塗りつぶしたようには見えないだろう。
それにしても、花のしたにて死なん、という発想にはある種のエロチシズムが感じられ、それはやはり男のものではなかろうか。
我病んで花の句も無き句帖かな 明治35年 子規
子規は上野公園の近くに住んでいたから、花といえば上野公園だろう。この頃はもうソメイヨシノがたくさん植えられていたのだろうか?子規が亡くなった年の春である。
ともあれ、心騒がせるサクラではある。