小島陣屋跡を見にいく

鵙猛る古城虎口の石垣に

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 (陣屋には珍しいという 枡形虎口(ますがたこぐち) 陣屋はこの上部にある。)

 ( 虎口とは小口とも書き入口のこと、枡形により進路が鍵の手のように屈曲している)

 

 

天気がいいのでぶらぶらと、小島陣屋跡を訪ねた。

清水区興津の海岸から興津川を、国道52号で約4キロ遡る。この道は身延街道とも呼ばれ日蓮宗身延山への参詣の道でもあった。この陣屋跡は小島地区の国道から3,40mの高地にある。

ここには昔2,3度来ているのだが、当時は山の斜面の民地の畑だったので入りにくく、わずかばかり石垣が確認できただけで、遺構の様子はほとんど分からなかったものだ。新聞で整備されていることを知って、今回のハイキングとなった。

現地では、畑はすっかり取り払われ、斜面に何段にも築かれた石垣が立派に姿を現していた。私はこの遺構の立派さを初めて知って驚いた。遺構は眼下の興津川と小島集落を見下ろす高台にあり、数段の曲輪が築かれ、大手の石垣は高さ4m、入り口は枡形虎口がしっかり残っている。平成18年に国指定史跡に指定されている。

けれどなぜこれほどのものをこれまで整備してこなかったのか、それが不思議にさえ思えた。お城のファンも大勢いるらしいので、全国から注目を浴びるだろう。まだまだ草を刈っただけの整備状況なので、今後華美でない整備を進めてほしいものだ。

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この陣屋は、江戸時代1万石の小島藩の屋敷・政庁であるが、女房が「お城はないの」という。ここでは一番大事な政庁が、書院と呼ばれていたようだ。不確かな私の知識だが、3万石以下は城が持てなかった。一国一城といっても、大名の3分の一ほどは城が持てなかった。城のない藩の政庁が陣屋である。当然、戦闘機能がない。

といっても小島陣屋の石垣は城の石垣の体裁をなしている。この辺りはどういう事情があったのか知る由もないが、陣屋によっては、さまざまな形態があったのかもしれない。以前見に行った、信州の竜岡藩の星形の城跡(五稜郭)は、やはり陣屋であり、城が持てない大名の城を持ちたい一心の表れだったことを思い出す。

(参考:https://zukunashitosan0420.hatenablog.com/entry/64982855

 

夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉

という名句がある。城跡を詠んでこれ以上の句はなかなか作れない感じがする。

けれど、この陣屋跡に佇むと、ここに勤務して山を見ながら、決して裕福ではない生涯を終えた下級武士たちも大勢いたにちがいないという、何か寒々した感慨がわいてくる。夢のない庶民武士も大勢いたのだろうなあと。