佐久市田口という田舎にある「龍岡城五稜郭」がそれで、今は堀と御台所の建物だけが残されていて、堀の中は田口小学校となっている。城を築いたのは、大給松平氏の最後の藩主、松平乗謨(のりかた)。竣工が慶応3年(1867年)、江戸時代のもう終わりの年である。もともと城を持つ資格がなかったため、天守閣などはない。変革の時代でもあり資金面のこともあったのだろう、全面的完成を見ずに今に堀を残すだけのこととなった。
私の概算では、星型の一辺は約140mほどであり、函館に及びもつかない小規模である。
五稜郭は、いわゆる星形をしていて攻防に死角がなくきわめて優れた城といわれ、17世紀のフランスのヴォーバンというルイ14世に仕えた人の考案だという。こんな田舎では無用の長物に思えるが、信州で好奇心が発揮されたかと思えば、そんな夢を見た人が居たことがおもしろい。
「鳥は星形の庭に降りる」は、武満徹の管弦楽曲である。武満氏はマルセル・デシャンが頭髪を星形に刈った写真を見た後、鳥が星形の庭に降りる夢を見て作曲したという。武満節の深遠な音空間。だがじつは文学的である。夢の鳥は先頭が黒鳥で続いて白い鳥だといい、これは私に言わせれば、五稜郭に白鳥が舞い降りるところを、宇宙から見ている夢である。
私の夢をさらに進めると、エッシャーのだまし絵「昼と夜」になってくる。鳥は上空で白と黒に別れて飛び去り、下にくだるとひらひらと畑に変じてしまう。そして左右下方には、五角形をした町が見えてくる。これも五稜郭であり同じ夢である。ちなみにこれは彼の絵の中でも良く売れたものらしい。
夢はまた先に進む。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では白鳥区で鳥捕りが出てくる。彼は鷺が雪のように舞い降りてくるのを捕り、ジョバンニとカンパネルラには雁を食べさせてくれた。それはお菓子のようだった。鷺が天の川の砂に舞い降りると、
「足が砂につくや否や、まるで雪の解けるように、縮まってひらべったくなって、まもなく溶鉱炉から出た銅の汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二、三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じ色になってしまうのでした」
少し現実的な夢に舞い戻る。武満氏は、星形をpentagonと表現していて、五角形、五がテーマなのだということを何かでいっていた。ペンタゴンに黒い鳥が舞い降りるといえば、9.11のアメリカ国防総省への旅客機墜落テロに他ならない。よもやそんな予言をしたわけでもあるまいが。
堀は一部しっかり残っている。
龍岡五稜郭に数年ぶりにこの春先、桜の名所なので寄ってみたが、まだつぼみだった。このあたりは家内の母方の祖母のでた地であり、売店のおばさんと話をしていたら、「ああ、あの家の人ね、いまは・・・・。」という具合で消息が直ぐにわかった。そういう田舎である。