韓国が見えた

望郷や海市の如くプサン見ゆ

対馬の最北端、韓国展望所までは厳原から約80キロ。途中の道路は整備が進められていて長いトンネルがいくつも島を貫いていた。そしてほとんど制限速度表示がない、ということは普通60kmということでこれも本州ではあまり見ないことだ。それでも2時間近くかかりぐったりと疲れた。

展望所は韓国風の建物で、売店がある訳でもなくパネル・地図が少しあるだけの展望台だった。

展望所に上がり目を凝らすと、彼方の海上に島影と何かがぼんやり見える。カメラを望遠にすると明らかにビル群と分かる、釜山の街並みだ。想像以上に韓国がよく見え、「あれはビルだ。ここまで来た甲斐があったよ」と皆で感嘆。

釜山までは隔てること50㎞。ここはまさに韓国に顔を突き合わせているような国境の島だという実感が湧いてくる。ここから遥か祖国を望んで涙する人もいるのだろう。

初期の遣唐使船は対馬から対岸に渡ったのだろう。元寇は実質は高麗の軍だったが、それが海上一面の船団で来たのだろう。倭寇の頃はこの辺からも海賊が出撃したに違いない。波を見ていると大陸との交流という言葉が、幾分か実感を伴ってくる。

有史以来大陸から多くの人間がこの海峡を渡ってきた。彼らは文化や産業を持ってきて、在住の人たちと混血した。白村江の戦いの後も、百済から大勢の知識人が日本に逃れてきた。こうしたものが混合されて日本が成り立ったにちがいない。対馬は入り口であるだけに、その痕跡が島の文化の底辺に残っているはずである。もう少し神社を見て回ろう。