静岡浅間神社の降り祭を見る

ヤマザクラまず警蹕(けいひつ)が神降し



4月に入ると、静岡市では静岡祭りが催されて家康行列や夜桜乱舞などで賑わう。静岡浅間神社では、廿日会祭が斎行され、伝統的な稚児舞や稚児行列などが街を練り歩く。春の到来を桜とともに祝う明るい季節だ。

 

ちょうどこの期に昇祭と降祭という、これも伝統的な行事が行われていることを知り見学に伺った。昇り祭は4月の3日だったが、大雨が降るという予報を見て見学を中止。降り祭が4日の午後4時からなので期待して出かけた。

 

この神事は、浅間神社の祭神である木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)が、父である大山祇命(おおやまつみのみこと)の坐す麓山(はやま)神社へ神幸され、一泊して戻られる儀式である。麓山神社が浅間社の背後の山にあるので石段を上り下りすることから、昇り際、降り祭と呼ばれている、とのこと。

祭事は、神官たちが4時過ぎに麓山神社に伺い、しばらくの祝詞を読むなど神事を行った後に、きらびやかな函状なものを竿で二人の肩に渡し担いで、しずしずと遷されるもの。神官の一人が「おーぉ」と通った声を絶え間なく発している。これは神聖なものが通ることを知らせる「警蹕」(けいひつ)である。

しかし、私にはこの神遷が思ったよりも簡素に思えた。以前、ここの大歳御祖神社の神遷のおりには、周りを絹垣でかこい暗闇に警蹕が響いて、おどろおどろしく感じインパクトが強かったのだが、それに比してやや事務的な感じだった。この神事は毎年4月と11月に行われるので、神社にとっては普通のルーチンワークなのかもしれない。

 

4月と11月の斎行という意味は、農業の神を春に里に招き、秋にまた山にお戻り願うということのようにも思える。富士宮の浅間本宮ではやはり4月に山宮から里宮に真夜中に神を招くという神鉾の神事があり、これも廃れていてものを最近復興していると聞いている。

そもそも浅間神社の御祭神は、コノハナサクヤ姫なのか、という詮議は古くからあった。富士宮の山宮にある由緒書きには「御祭神は木花佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)であるが、古くは富士大神を申し上げ、後には浅間大神(あさまのおおかみ)とも申し上げた」と解説されていた。富士山の神は元来、火山を畏れ鎮める神だったかもしれないが、併せて水と農業の色彩ももつ。静岡のお浅間さんの昇り祭、降り祭は、娘神が父神に会いに行くようなロマンチックな筋立てとなっているが、むしろもっと古い山と水の信仰がベースなのではないか、そんな思いにとらわれたが、特に裏付けもない感想である。

それにしても、祭りは閑散としていて境内に人はまばらだった。本殿も今長期の補修工事に入っていて、すっぽり覆われていて残念だが趣は全くない。友人と異口同音に、もう少しイベントとしてもしっかり人を呼べるようにやれないものかね、と話したものだ。あまり地味だと、神事自体が継続できなくなってしまいそうだ。そんな感じもした。舞台設定もいいし、謂れも古いものがある神事である。見に行って少し気が抜けたのも確かなのである。もちろん人気のある祭事もいろいろとあるのだが。