馬酔木の花柄摘み夢想―2

二上山に皇子は眠るや花馬酔木

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山辺の道の崇神天皇陵から見た二上山


謀反の罪で誅殺された大津皇子は当時24歳。天武が逝去した二十日余り後のことで、逮捕して翌日に処刑された。歴史家は、これはのちの持統天皇が自分の息子、草壁皇子皇位安泰を図るための陰謀だったという。大津は草壁の従弟にあたる。多才で大柄でカッコイイ男だったようだ。

 

磯の上に生える馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに  (巻二 166)

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む   (巻二165)

 

詠ったのは、大木皇女で大津皇子の姉である。彼女は斎宮として伊勢にいたのだが、この事件のあと都に還った。これは大津皇子二上山に改葬した折に詠った歌といわれている。この墓の在処は現在は分からないのだそうだ。

馬酔木には毒があることはよく知られている。花は健気で美しいが、どこか暗い影がさしている。

 

ところが、この大木皇女の歌を、聞いていたモノがいた。なんとそれは二上山の塚の中の、大津皇子の死霊である。

こうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたいあげられたっけ。「巌岩の上に生ふる馬酔木を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌け初めた頃だと知った。おれの骸が、もう半分融け出した時分だった。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。そう言われたので、はっきりもう、死んだ人間になった、と感じたのだ。

折口信夫の「死者の書」だ。おどろおどろしい。

した した した と塚の中に雫が垂れる。

こう こう こう。修道者たちは、再魂呼い(たまよばい)の行を初めたのである。

こう こう こう。

そうして、

おおう……。異様な声で、死霊は蘇る。 

おどろおどろしい。折口は自分の魂もそうできると考えていたのだろうか。

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おおう……。という声は、私は浅間神社遷座で聞いた「警蹕(けいひつ)」という発声を思い出す。神を移す儀式に、神官は最初から最後までこの声を発し続けていた。

 

かつて能登気多大社に詣でた折に、近くにある折口信夫の墓を訪ねたことがあった。墓は海浜に近い砂地にあり、養子とした藤井春洋の家の墓地の一角で、戦死した藤井とともに眠っている。死者の書にあるような湿った印象は全くないので、むしろ驚きだった。

 

馬酔木から、思い出すことを脈絡なく。