甘えたき香り微かに花馬酔木
庭の馬酔木がおわった。あせた不様な姿をさらしている。
でも2月から二月ほど庭を贅沢に彩ってくれた。ピリッとした空気の朝、かすかに漂う香りも嬉しかった。メジロやヒヨドリの群がる木であったし、タテハチョウが真っ先に飛んでくる木でもあった。
花が終われば私の出番で、例年儀式のように花柄を摘む。手も脚も痛むので作業ははかどらず、今年は1週間はかかってしまった。小さい木なのだが。何も考えずに鋏を入れて、花柄だけを切る。暖かい日を浴びて、世間を忘れる一時である。
以前、花柄摘みが映画「おくりびと」と似ている感じがして、「花おくりびと」かなと思えたことがあった。摘んでいるとこの映画の背景にそびえる鳥海山を思い出す。
https://zukunashitosan0420.hatenablog.com/entry/65865282
馬酔木は、枝が案外もろくて、手折りやすい。
堀辰雄の大和を訪ねる紀行文か何かにアセビのことが書いてあったなと、記憶を辿って調べると、それは「浄瑠璃寺の春」だった。こんな風な調子だ。
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「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を仔細に見ていたが、しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一と塊りを掌のうえに載せたりしてみていた。
どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。そんなことを自分の傍でもってさっきからいかにも無心そうに妻のしだしている手まさぐりから僕はふいと、思い出していた。
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ここにも、「手折る」が出てくる。そしてこれは万葉集の、
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに (巻二 166)
(岸のほとりに咲く馬酔木を手折って、思わず花を見せたいと思う。けれども、見せるべきあなたはいないことだのに。 訳:中西進「万葉集(一)」)
が堀辰雄の頭をかすめていたかもしれない。