ヤブコウジとツルコウジ

野鼠もしばし見入るや藪柑子
 
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(ツルコウジ 鉢に植えたところ)

紅葉を見に行ったら、山道の斜面に赤い実があるのに気がついた。ヤブコウジかなと思ったが、少し雰囲気が違う。実は小さいし葉の形が異なっている。
持ち帰って調べたら、ツルコウジというもののようだ。名前のとおり茎が長く蔓状に這っている。ヤブコウジとちがい園芸化されずに野にひっそり残ったのだろう。
我が庭の一隅に植えたが、うまく根付くかどうか。
 
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(こちらはヤブコウジ

寒さが増すにしたがって、ヤブコウジの赤い実が一段と鮮やかに見えてくる。
万葉集の時代にも愛されていたようで、「ヤマタチバナ」の名で5首歌われている。コウジ(柑子)といいタチバナ(橘)といい、柑橘の名がついているのは、実と葉がコウジミカンに似ているからだという。(*1)

万葉集5首のうち3首は大伴家持の歌である。
この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の光るも見む (巻19 4226)
 (このゆきの けのこるときに いざいかな やまたちばなの みのてるも みん)
家持は越中に、その後因幡に赴任したことがあったので、残雪に映えるこの赤い実をよく見ていたのだろう。調べの若々しさから越中での歌だろうか。
 
ヤブコウジは園芸植物として江戸時代に大流行したという。さらに明治の日清戦争後にも新潟県で投機の対象となるほど流行り、いろいろな品種も生みだされたという。
中尾佐助は「花と木の文化史」で、次のように興味深く書いている。
 
日本の園芸植物の中でサクラやツバキ、ハナショウブ、キクなどは世界の花の中に入っていったが、古典園芸植物といわれるものは江戸時代にはやった鉢物で、西洋人にはほとんど理解できない。例えばマツバラン、イワヒバ、オモト、そしてヤブコウジマンリョウなどである。

ヤブコウジは古く万葉集の中にもうたわれ、「10センチほどごく小型で赤い果実のできるヤブコウジが、このように中国でも日本でも注意を引いたのは不思議ともいえよう
この古典園芸植物の文化が、明治以降大勢として衰退し、また日本以外の国には受け入れられなかったのはなぜだろう。
それは、「子どもにもわかるような、一見して明快な美しさを欠いている。その美学はアブストラクト芸術にたとえられよう。アブストラクト芸術はそれを理解し、それを鑑賞するには、そのための教養と知識が必要である。古典園芸植物をみて、その価値のわからない人は、それに対する教養と知識の欠けた人といえよう。古典園芸植物は江戸時代の後期に、アブストラクト・アートとして、ほとんど頂点まで登りつめてしまった存在である。それが理解困難になったとしても何の不思議もない」

そして中尾さんは、古典園芸植物を日本の文化財として文化財行政に取り込んで生かして残すべきだと書いている。
こうした小さい鉢物は、彼が語ったころよりは日本文化として理解されてきているとは思うが、やはり西洋の花文化とは美学が異なっていると感じざるを得ない。
 
マンリョウやセンリョウやヤブコウジは、こんなに赤く、こんなに美しいのにねえ。

(*1) 松田修 「萬葉植物考」 社会思想社