道の辺の尾花がしたの思ひ草今さらさらに何をか思はむ
(万葉集巻十 2270)
(秋の草の花)
ブログにいただいたコメントに、ナンバンギセルがススキに寄生して枯らしてしまったというお話があった。ナンバンギセルは寄生植物で、ススキやチガヤ、ショウガ、サトウキビなどの根に寄生する。たまたまこの花のことについて書かれたものを目にしていたので。
もう古い本だが、山田宗睦の「花の文化史」という著者の思い入れたっぷりの本が私の書棚にある。著者は哲学、思想史などを主にした評論家であったが、歴史や古典文学に造詣が深く、しみじみとした文は秋に最適である。ススキとナンバンギセルも、ここに少し書かれている。
著者は次のように書く。(文意だけ)
この歌の「尾花の下の思い草」とはなにか、近世、諸説があった。リンドウ、ツユクサ、オミナエシなどの説が出たが、前田曙山が「園芸文庫」巻三(明治36年)でナンバンギセル説を打ち出した。しかしすでに本居宣長が「玉勝間」で名は出していないが、ナンバンギセル説を紹介していた。宣長が知人から図と実物を送られて、それを植えたが冬枯れし翌春も出てこなかった。と記されていて、これは明らかにナンバンギセルである。
万葉人は八世紀にすでにこの花の形状に「首を垂れて物思いする」さまを見ていたのである。
さらに著者は、岐阜羽島で下車し長良川、揖斐川辺りのススキ原を歩く。ナンバンギセルを探すためだった。宣長におしえた知人は田中道麻呂という名古屋在の人だったので著者はこの付近で簡単に見つかると思って歩いたのだが、なかなか見つからず、杭瀬川に近い辺りまで行ってようやく見つけた、やや時季が遅かったと記している。
これだけの内容である。
著者はただナンバンギセルを見たいという理由で「名古屋在」を手がかりに下車しススキの原を歩き回る、その酔狂が快い。
著者はただナンバンギセルを見たいという理由で「名古屋在」を手がかりに下車しススキの原を歩き回る、その酔狂が快い。