赤い実と白鳥の沼

赤き実のことさら赤き年の暮れ

 

近くの沼の周辺をぶらぶら歩き。襟を立てポケットに手を突っ込んで。鼻を啜りながら。

陽が西に傾いてきた。自分の影が長い。

路の脇に、ヘクソカズラの赤茶色い実が見えたので、引っぱって取った。茎は結構しっかりしているから切れずにひと塊りで着いてくる。宇都宮貞子さんがヘクソカズラの花は小さな西洋人形だ」と言った、あのヘクソカズラが冬を迎えて、今きれいな赤茶の玉になっている。

少し行くとツルウメモドキが薮に絡まっている。もう殻が裂けて赤い実がたくさん顔を出していた。これも面白いのでカッターで切り落としてリース状にして手に持つ。いずれも玄関を楽しくしてくれそうだ。

(庭のナンテンや千両万両も、今年は色がいい。真っ赤だ。ヒヨが来はじめたから正月飾りにとっておきたいものには網をかぶせて防衛している。)

この時期、赤い実が本当に美しい。

 

沼は一面に冬枯れの風景だが、ガマやススキやセイダカアワダチソウが盛んに穂綿を飛ばして、枯草が雪のように白くなっている。路の脇にもうづ高く溜まっている。でも考えてみれば、植物は今が一番の大仕事をしているのかもしれない。生きる使命は子孫をばらまき増やすことだから。

(じっとして動かない?)

今日は幸運なことに白鳥を見ることができた。一年前にも来ていたが、これはその飛来した個体なのだろうか。今回は間近でよく見ることができたが、どうもオオハクチョウのような気がする。前回はいま一つはっきりとはしなかったのだ。

二羽が飛び立って周辺をひと廻りしてまた舞い降り、それからゆっくりと反対側の草むらの方に行ってしまった。カメラを持ったおばさんが、小声で「この先にも一羽いて、可哀そうに弱っているようで、もう先日から動かないんです」という。行ってみると岸のすぐ近くの草の上に乗ったまま、人を見ても注意は向けるが逃げようとはしなかった。何があったのだろうか。手の出しようがない。

 

(参考:宇都宮貞子「夏の草木」新潮文庫