ダルマさんはどこから来たのか

ダルマ市眼玉なき顔てんやわんや
張り子ゆえ中即是空の達磨かな
 
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だるま市は新年に全国各地で開かれるが、富士市今井の妙法寺毘沙門天大祭に開かれるだるま市は、高崎の達磨寺、調布市深大寺とあわせて日本三大だるま市といわれているそうだ。実はこれが日本最大の人出なのだという。この毘沙門天大祭は例年2月に開催されていて、私は家から遠くはないのだが、今回初めていってみた。
 
境内はだるまの店でびっしり。小雨の最終日とあってか、人出はもう収まっていたが、それでもだるまを見る人買い求める人で大混雑だった。各地のだるま屋が店を出していて、それぞれのお顔が少しづつ違っている。大小さまざま。ヒゲや眉にふさふさと毛が付けてあるものもある。地元富士宮のだるま店が一番店舗を大きく出していた。
大きいものは5万円もするので、伺うと
「値がないようなもんだから、相談だよ」と売り子。
私は見学しただけで、結局買わずじまい。
 
家には愛媛姫だるまのペアがあるが、最近は飾らなくなった。他になにかあるなと思って探すと5センチほどの白河だるま。それから鹿児島の「オッのコンボ」があった。それぞれ旅先で買い求めた小物である。
オッのコンボという変な名は、起き上がり小法師の鹿児島方言らしく、この地方の縁起物で台所に家族の人数プラス1体を正月に飾る風習であるという。形はやや細いだるまである。
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(鹿児島の「オッのコンボ」 大きさは5cm強)

起き上がり小法師が、縁起だるまのルーツのようだが、
「中国には古く「酒胡子」(しゅこし)といって酒席に興をそえる一種の玩具があった。
それは木彫りの人形の下方を尖らしたもので、これを独楽のように盤上で回転させ、その倒れた方向の人に盃をさす、つまり酒をすすめる一つの遊具である。

「この酒胡子にちなんで、中国では明末、達磨の象徴として張り子の人形を作り、これを「不倒翁」(ふとうおう)とよんだ。人形の尻に当たるところを粘土で固め、重心をここに置くので転んでも必ず起き上がる。
それは大師の面壁九年の不撓不屈の心に通うので、この人形もそれを尊んで「翁」とよばれ、禅宗の興隆につれて、酒胡子に代わって酒席にも使われ、もてやはやされた。
(「ダルマの民俗学吉野裕子 岩波新書
 
吉野さんは、おそらくこの不倒翁が、室町時代の対明貿易の交流のおりに日本にもたらされ、張り子の起き上がり子法師、そしてダルマさんになったと推測される、としている。
 
とすると、鹿児島の「オッのコンボ」などは、ダルマさんの古い姿なのかもしれない。

だるまは、禅宗の開祖の達磨大師を模したもののはずだが、まったく宗教臭がしない。その理由は、もともと酒席から発生してきた遊具だったからだろう。それにしても、「だるまさんが転んだ」といい「ダルマさんダルマさんにらめっこしましょ」といい、随分遊びの深くまで根を下ろしたものである。