ほととぎすオキヨオキヨッと日曜日
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(「bird song」 :主婦の友社 水谷高英氏のイラストをお借りしました)
暇無み来ざりし君に霍公鳥われかく恋ふと行きて告げこそ (巻第8 1498)
(いとまなみ こざりしきみに ほととぎす われかくこうと いきてつげこそ)
暇がなくて来なかったあの方に、霍公鳥よ、私はこのように恋うていると、行って告げてほしい。(中西進 訳)
ほととぎすの歌である。カクコウと鳴けと詠っている。歌はこれを「斯く恋う」ともじったものである。
霍公鳥の霍公は、音でよめばカッコウとなる。
霍公(カクコウ)と書いて、ホトトギスと読ませ、しかもカクコウと鳴く鳥なのだ。
万葉時代は、よほどホトトギスが好きだったのか、集中もっとも多く歌われた鳥である。そして霍公鳥と書いてホトトギスと訓じるのは万葉集だけで、中国にも日本にも他に例がないらしい。中国ではホトトギスは杜鵑、カッコウは郭公鳥である。
さらに、この霍公鳥は郭公鳥とおなじ鳥だという。
として、万葉集で読まれている「霍公鳥」は、今でいうところの「ホトトギス」ではなく、「カッコウ」である、と結論している。(「万葉集の“霍公鳥”の正体」 webの岩松氏の論文を参考にさせていただきました。 )
としてみると、歌のイメージはいろいろと変わってくる。「トウキョウトッキョキョカキョク」から「カッコウ」に変わるのだから。
岩松氏の論文では、「近世以来」とされているだけで、くわしい研究はされていない。近世以来とは、まあ江戸時代からというような漠然としたものなので、江戸時代の俳句についても、このあたりは配慮する必要があるのかもしれない。または他に、説があるやもしれないが私は目にしていない。
明治時代ではどうか。
子規が書いた「松羅玉液」の明治29年8月1日の記事は、子規の家に多くの俳人が集まっているところに、ホトトギスの声が聞こえてきて、みなが大騒ぎした。というものだった。居合わせた多くの人が、実際の鳴き声を知らなかったようだ。
この話の中で子規は、「閑古鳥」(かんこどり)をいかなる鳥かと詮索している。
「閑古鳥という鳥種々の説ありて分からず。・・・あるいは時鳥の雌なりという説ももとよりあてにならねど同じ季候に鳴く鳥なるべければ、あるいは多少似よりたる鳥ならんかと思わる。」
「この頃奥州の人に聞く、同地の山間かっこかっこと鳴く鳥甚だ多し、郭公(かっこう)の音に似たり。時鳥の一種ならんかと。けだしこれ閑古鳥なるべし。・・・和漢三才図会に「かっこう」とあるもこれなるべし」
こういわれてみると、作品の中で作者がホトトギスといっていても、それはもしかしたら、カッコウである可能性があるということだ。これはケッコウ大きな問題であって、トウキョウトッキョキョカキョクをカッコウカッコウに置き換えて鑑賞す必要があるかもしれないということだ。歌や句のイメージが大きく変わってくるかもしれない。
少し乱暴だが、例えば、杉田久女は少し時代が新しいが、これはどうだろう。
谺して山ほととぎすほしいまゝ
例えば、蕪村の
芭蕉の
時鳥消え行く方や島一つ
むしろカッコウの鳴き声とうけとった方が、広々した空を思わせるが、いかがか?
(一茶はやっぱりホトトギスか、テッペンカケタカと聞き慣わしていたから)