貧乏人に熱い?

この熱さ貧乏人の口減らし
 
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(朝6時、28度)

この熱さ、気象庁が命にかかわる「災害」という認識になってきた。洪水や地震津波とおなじで生活・生存の危機だということだ。実際死者も出ている。総じてつましいお年寄りが多いことに、胸が痛む。同類の気がするからだ。
 
NHKも、「冷房を適正に使用し」などというお役人言葉から「ためらわず使用し」と、語調を変えてきた。我が家も、さすがに「ためらわず使用」しているが、さてさて来月の電気料請求が頭をかすめることも確かだ。

今回の西日本の大雨の災害に対して、全壊家屋には300万円支給されるという記事を見た。幾分でも助かるだろう。これが税金の使い方だ。
で、この熱さも災害であり、冷房が生存に不可欠になった。いわば「健康で文化的な最低限度の生活」に冷房が必須になったといえる。
金持ちは霧ケ峰で、貧乏人は長屋に熱さで死んでいくのは、理不尽である。電気という公共料金についても、この高温災害に関して何か割引等の支援政策があってもいいだろうと思う。
 
また、電力会社にクーラー代をすべて持っていかれるのは納得がいかない、いわば災害太りは許されない。
原発事故の後、電力不足が声高に叫ばれた。ところがそうした声はここしばらくは聞こえてこない。今年のこの熱さでも電力は十分まかなえているようで、一体あの喧伝は何だったのか。一部火力がフル稼働で原発分を代替えして、コストの高い電力を生産しているのかもしれないが、災害時には公共性を発揮し会社は身を切って対応すべきだとあらためて思う。
 
子規の、熱さの俳句のことをかこうとしたが、ついつい熱さで不機嫌になり、ちょっと横にそれてしまったので、後日にしよう。