甲子園、ついでに子規の野球ずき

甲子園弱小校に肩入れし

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静岡新聞を使わせていただきました)

さて今日は甲子園の決勝。
普段スポーツ熱心ではない私だが、めずらしく興味が湧いてくる。
それは大阪桐蔭金足農業が、あまりにチームカラーが対照的なことによる。片や全国から英才を集めた名門エリート強豪校だし、片や公立の農業高校だ。雪深い里の農業高校、生徒は地元の子どもたちというのが、うれしいではないか。最近、あまりにも学校の運動・体育が勝敗中心の商業主義になりすぎているように思える反動もあるかもしれない。
大阪にはすまないが、どうしても金足に肩入れしたくなる。
 
金足農業の全力校歌斉唱で反り返る姿を見ていて面白いなあと思っていたら、歌詞も農業高校らしく土の匂いがしていい。土が凍るなどという言葉も見えた。
気がつくと校歌の作曲が岡野貞一と書いてある。「まてよ、もしかして?」、と思ったら、やはり「春の小川」や「紅葉」や「おぼろ月夜」の作曲者その人ではないか。特に「ウサギ追いしかの山」の「故郷」は、作詞の高野辰之が同郷の奥信濃の生まれであることもあって、私にとっては思い入れの強い歌である。
驚いて、これでまた秋田を応援する理由が一つ増えてしまった。
 
話は飛ぶが、
子規が生きていたら高校野球の熱狂的ファンだったろうな、と思った。
子規はベースボールを好んで、まだ世間に知られていなかったこのゲームを皆に教えたことでも知られている。私の手元に資料はあまりないのだが、「松羅玉液」にはベースボールとはどういうものかを、くわしく解説している。
野球用語には子規が日本語をつけていて、
ピッチャーは投手、キャッチャーは攫者、バットは棒、アウトは除外などとしている。
キャッチャーを「面と小手をつけ」(撃剣に用うる面と小手ごときのもの)と書いているのも面白い。

また「球戯はその方法複雑にして変化多きをもって傍観者にも面白く感ぜらる。かつ所作の活発にして生気あるはこの遊技の特色なり」という。日本には野球のようにチームを組んで行い、また観客も見て興奮するようなゲームがなかったのだ。
 
明治31年のベースボールの歌 と前書きして
久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者もあらじ
九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす
打ち揚ぐるボールは高く雲入りて又落ち来る人の手の中に
今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな
 
などの9首をよんでいる。本当に子規は好奇心のかたまりだった。