「庭の千草」「埴生の宿」

鍬の歯にカチリと当てて九月来る
 
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今朝は22度くらいまで下がった。急に涼しくなり秋の気配を感じて、脳や感性が活性化してきたのだろうか、ようやく音楽を聴く気も湧いてきた。
で、朝CDを選んでいたら、往年のソプラノ歌姫サザーランドの一枚が目についた。LONDONがだした1963年の録音でもう半世紀前のもの。曲目は誰もが知っている愛唱歌ばかりで、親しみやすく上品な声にはうっとりさせられる。
 
その中の「庭の千草」は誰もが知る曲だが、原曲は「The Last Rose Of Summer」で「夏の名残のバラ」とも訳されている。アイルランドの民謡の旋律にトマス・ムーアという詩人が作詞したものだとのこと。しかし夏のバラというのは何だろうか。バラは日本では春と秋が定番だが、寒いアイルランドでは夏のものなのだろうか。
 
さて歌詞は、たった一つだけ枯れ残ったバラを我が身になぞらえ、自分もすぐに仲間のところへ逝くよと歌っているようだ。私もこうした気持ちを理解できる歳になった。最後のフレーズはこうだ。
Oh! who would inhabit
This bleak world alone? (ああ、誰が生きて行けようか、この寒々した世界に独りきりで)
 
日本版の「庭の千草」は、明治17年の文部省「小学唱歌集」に掲載された、里見義の作詞(訳)である。改めて「庭の千草」の歌詞を見れば、
 
庭の千草も。むしのねも。かれてさびしく。なりにけり。
 ああしらぎく。嗚呼(ああ)白菊(しらぎく)。ひとりおくれて。さきにけり。
露(つゆ)にたわむや。菊の花。しもにおごるや。きくの花。
 あああわれ あわれ。ああ白菊。人のみさおも。かくてこそ。
というもので、バラは白菊になりしかも季節は初冬か。
そして男に先立たれた女性(未亡人)の歌となっている。

さて、「埴生の宿」も里見義の作詞(訳)である。これは原曲が「Home Sweet Home」で、イングランドの民謡ともビショップの作曲ともいわれている。

埴生の宿も、我が宿。玉の装い羨(うらや)まじ。
と歌うが、「埴」というのは、埴(はに=赤茶色の粘土土)は瓦・陶器の原料。また、上代には衣にすりつけて模様を表すのにも用いた。赤土。粘土(ねばつち)。「埴生の宿」は粗末な住居などを意味する。

この曲は市川崑の映画「ビルマの竪琴」を思い出す。詳細は忘れたが、ビルマ戦の兵士だった水島上等兵が帰国を拒否して戦死者を弔うために現地に残るという反戦の映画で、これを学校の講堂で教育映画として授業でみた。彼が竪琴でこの曲を弾いたのだった。

この竪琴は、「サワン」というビルマ特有の弓形ハープである(柴田南雄「楽器への招待」)。水島上等兵が奏でたのは、これをまねて手作りしたものらしい。
 
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柴田南雄「楽器への招待」)

いずれの曲も、日本に来て100年以上経って、日本人にすっかり解けこんでしまい、私は何となく秋の季節を感じてしまうほどだ。
里見義の歌詞はいささか古くて意味がわからない時代になってきたので、多分また新たな歌詞が生まれ、メロディーはこの異国の地にも末永く生き延びるだろう。外来植物みたいなものである。
 
さて、音楽の後は甲子園。秋田の金足農業を見ないといけない。