「千と千尋の神隠し」とハイドン

八月やピアノを撃(たた)くバルトーク

 

  

ハイドンピアノソナタを流していたら、あれ?!というメロディーが聞こえてきた。Ⅾ major・Hob.XVI: 19(ソナタ第19番)の第2楽章、Andanteである。

この曲が、「千と千尋の神隠し」のなかに出てくる「いつも何度でも」と本当によく似ているなと思ったのだ。

「いつも何度でも」は、覚和歌子作詞・木村弓作曲で木村弓さんが小さな手箏?を弾きながら歌っているものだ。曲もいい上に歌詞がまた胸を打つ。木村さんの声が沁みてくる。

最後のフレーズは次の通り。

 

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充(み)たされてゆけ
海の彼方(かなた)には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

ララ ラ ラ ラ ラ ララララ ラ ラ ラ ラ ララララ
ラ ラ ララ ラ ラ ララ ラ ララララ ラ
ホホ ホ ホ ホ ホ ホホホホ
ルン ルン ルン ルルルルルル
ルン ルルルル ルン ルン ルル ルン ルル ル

ララ ラ ラ ラ ラ ララララ ラ ラ ラ ラ ララララ

 

ハイドンと似ているのは、この後半の、ララ ラ ラ ラ ラ と歌う部分以降。何万という曲があれば似たメロディーが生まれる確率は当然あるはずだが、それにしても不思議ほどよく似ていて驚かされる。

 

ハイドンピアノソナタは、メロディーが骨太で押しつけがましさがないので私は素直に聴くことができる。たいていはBGM的に流しているのだが、後期の作品にはベートーベンに近い深みを感じさせるものもある。よく聴くのはBriliantから出しているフォルテピアノによる全集で、演奏者は4,5人。この音を聴いていると現代ピアノが無機的で味気なく聞こえてきてしまう。

 

20年ほど前のこと、天竜川筋を延べ20日間ほど費やして走り回った。小さい温泉に入ったり、文化財を見たり、塩の道を辿ったりしたのだが、南北朝の時代、宗良親王が三十余年在住した御所平という秘境の地も訪ねたこともあった。そんな旅の一晩、遠山郷の下栗の里で廃校を利用した宿に泊まったことがあった。食堂にダイヤトーンのスピーカーがドンと据えられていて、このピアノソナタが流れていた。私が何の曲かと尋ねると、支配人さんはハイドンだと教えてくれて「これはいいですよ」と言ったのを思い出す。

それから暫くして、私もこのソナタ全集を手に入れ、それは愛聴盤となった。下栗は日本のチロルと言われる。そこで出遭ったピアノ曲なのだ。

(ついつい昔のことなど思い出して。)