兵馬俑とロダンと

兵馬ねむる大地に春や二千たび

(腰を下ろして弓を構えている)

 

静岡県立美術館に、兵馬俑の巡回展がきたのでみにいった。

兵馬俑は、秦の始皇帝を死後にも守るために、埋められた兵士や馬などの像である。2200年もの時を経て目覚め、世界遺産に指定された。兵士たちは実際の一人一人の人物に似せて彫られたとも言われており、皆一癖ありそうな油断ならない面構えをしていて、実にリアルである。馬も生き生きとして、尻の穴まで生々しい。文字通り迫真的な力が、見る人を圧倒してくる。

 

始皇帝が戦国の時代を終わらせ全国統一したのは、紀元前221年のことだという。世界史的には、ミロのビーナスが作られた時代とほぼ近いようだ。兵馬俑とビーナスを比べるといずれも美術的には極めて優れたものだが、明らかに大きな違いがある。ギリシャ彫刻が、理想的なものを美として作り出しているのに対し、兵馬俑においては必要な用具としてリアルな姿を作りだしているということだ。こうした違いにも、中国の現実主義的な面が表れているようで面白い。

 

この写真は、秦がまだ全国統一する前の戦国時代の秦の騎馬俑。(紀元前403から前221年)

20センチ余という小さいものだ。顔つきなどは埴輪に似た面持ちである。展示では、秦の時代から漢の時代に移ると、兵馬俑は小型化して抽象的なものになっていく推移を説明している。というより始皇帝兵馬俑が前後の時代に比べて、大きさといい、表情と言い特異に写実的なのだ。

 

兵馬俑展をぬけると、そのままロダン館に入れるので、久しぶりに足を向けた。静岡県立美術館は、ロダンの作品を沢山収蔵していて立派な展示場に常設展示されている。世界にいくつとない「地獄の門」もある。

写真は、「カレーの市民」の単体作品で、ユスターシュ・ド・サン=ピエールの像。十四世紀中ごろ、フランスの都市カレーがイギリスに制圧されたとき、人質の代表として真っ先に名乗り出た街の長老だという。首に縄を巻きつけ、悲壮だが威厳のある表情である。ロダンの作品では、人物や感情が大きな塊として目の前にドンと投げだされて来る。兵馬俑の写実的な静的な迫真性とは違い、質量の塊りがうねり、動的な表情を持つ迫力である。(この辺は美術批評家が、的確な表現をしていると思われるが、よく知らない)

 

蛇足だが、以前やはり美術展で、鑑真和上の像を見たことがあった。自分が思っていたよりは小ぶりであったが、まるで生きているようなその存在感に鳥肌がたった。怖いと思った。いろいろな宗教で偶像を禁止している理由がその時に直感的に理解できたのだった。