私的な(俳句的)風景画論ー1

立春マチスの空に開く窓
 
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マチス 「開いた窓、コリウール」 1905年)

静岡に県立美術館ができたのは1986年、もう30年以上が経った。
館の基本的なテーマは「風景画」だった。当時山梨県立美術館がミレーの「晩鐘」で集客していたのに対し、漠然とした「風景」というテーマはいかにもパンチがなく、「何か集客の目玉がないのか」という不満や不安の声があったのを覚えている。

しかし私は、風景は、人間の自然や街に対する認識や歴史的・地域的な文化論そして今日的な環境倫理、さらには景観とかアメニティの問題を大きく包摂するテーマだと思えて、極めて炯眼だと感じたことを覚えている。
美術館はその後、ロダン館を増設し、企画展でも「風景」を旗幟鮮明に打ち出すことが少なくなったように思える。館の運営という課題もあるだろうし、継続して人々を惹きつけるには難しいテーマではある。
 
開館して数年後だったろうか、美術館の学芸員のSさんと酒屋で同席したことがあった。
酔った私は、自前の風景論を強弁し、Sさんを不愉快にさせた。後日、私は手紙を書いて彼に陳謝し、改めて自説を書き送った記憶がある。

もう、何をしゃべったのかはっきりはしないが、多分、風景という言葉は、現代では意味を失っている。日本人の風景の眼は、公害によってはじめて明瞭に見開かれ、公害が改善されるに従い、環境とか景観という視点に移ってきている。さらには宇宙からの視点、そしてミクロの視点を人々は獲得している。こういう時代に泰西名画の風景は博物館的意味しかない。
多分こんな論だったろう。そして大枠間違いとは、いまだ思っていない。

けれど、私の論は、絵など見ないで観念で断じただけなのだった。多くの画家が、人生をかけて外界をキャンバスに落とし込んできた、そのディテイルを知りもせず、画家の新しい挑戦も知りもせず発した言葉だった。
Sさんはその後若くして亡くなられてしまった。
 
自分が老後の趣味で、平々凡々、下手な風景画を描いて楽しんでいる今となっては、恥ずかしい限りだ。