名句に教わる-5(冬の川)

川涸れて烏隠るる蔭もなし
 
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冬の川は俳句になりやすいのだろうか、古来いい句があるので思いつくまま2つ3つ。

易水にねぶか流るゝ寒さかな (蕪村)
・易水は「史記」でも有名な始皇帝を暗殺しようと出発する壮士の物語の舞台。蕪村は漢詩文の世界を市井の葱の風景と合わせてイメージを形成しており、蕪村らしい。

流れゆく大根の葉の早さかな (虚子)
・大根の白さ、冬の水の冷たさ、スピード感を平易な言葉で日本画のように定着させている。

冬河に新聞全紙浸り浮く(誓子)
・荒涼とした印象で、工業用水で汚れた下町の川を、レッドパージの暗殺死体が浮いていて、それがゆっくり流れてくるようである。誓子というと終戦の時代を背景にして、そんな風に見えてくるのだが、感じすぎかもしれない。
 
冬川や菜屑流るる村はづれ (子規)
明治27年の子規の句だが、上記の句に比して、ドラマ性も清新さもなく淡々とした描写である。私には、いいも悪いもない平凡な句に思える。
子規は26歳のときに一番沢山句を作った。4000以上になり、濫作の極に達したと自分でいっている。
「涼しさや聞けば昔は鬼の家」「月涼し蛙の声の湧きあがる」「木下闇ああら涼しやおそろしや」・・・これらは、26年の奥羽行脚で福島での作であるが、この頃でも、まだこんな程度の句で、子規がいかに自力でこつこつと力を蓄えたかがわかる気がする。