若鮎や清流に命ぬめりたる
6月1日に鮎をいただいた。この日は、静岡県の興津川の鮎解禁日で、全国トップである。だから日本で一番早く食べたことになる。私は釣りはしないので、もらって食べるだけである。さっそく塩で洗いぬめりをとって、塩焼きにして食べた。
もうこの頃は安倍川に行くと太公望がずらっと並んで、糸を泳がせている。釣り人は自然に間隔をとるので、橋の上から眺めると、きれいに等間隔に並んで見える。それが次の句の意味。
鮎釣りや自ずからソーシャルディスタンス
鮎と言えば、私には蕪村の次の句が、一番鮮明である。短編小説が浮かんできそうである。
鮎くれてよらで過行く夜半の門
鮎釣りには、寡黙な人が多いのだろうか?そんなことはないと思うのだが・・・。
子規では、次の句。
若鮎の二手になりて上りけり
これは、明治25年の作だから、まだまだ子規も体力があったろう。そう思えば句にも若さが感じられる。それでは、と思って子規の鮎の句をネットで検索すると、69句上がってきた。
しかし、岩波の「子規句集」を見ると、「鮎」は一句もない。どうしたわけだろう。これは虚子の選なのだが、たまたまなのか、それとも虚子が鮎を嫌いだったのか。確かに晩年にはあまり面白い句はないようにも思う。明治29年のこんな句は平凡だが私はいい感じがする。
一むれや水の色なる上り鮎
読んでいると、子規の鮎は玉川で獲たもののようだ。
玉川の鮎にくひあく一日哉
玉川や小鮎たばしる晒し布
これは玉川上水なのか、多摩川なのかは、東京を知らない私は調べないと分からない。次は、明治35年の句。
鮎釣らんか如かずドンコを釣らんには
この頃はもう病魔に蝕まれ精神だけで生きているという子規が、どういう意味でこの句を詠んだか、分からない。食に貪欲だった子規である、ドンコの方がうまい、食べたいな、という意味かもしれない、子どもの頃の思い出かもしれない。いい句とは思えないが。因みに「ドンコ」は検索しても子規にはこの一句だけである。
この年の9月に子規は逝く。