柿一つ

一村は次郎ばかりや柿の里

我が家の次郎柿は毎年2,30個は実をつけるのだが、今年は裏年らしくて、何と一つも実がつかない。まさか、と思って矯めつ眇めつ覗き込んでみたのだが、やはり無いのだ。こんなことはこの10年なかったことだ。

「今年は駄目だね」と諦めて、もうすっかり忘れていた。

先日朝起きるとトマト?らしきものが庭にちょこんと落ちている。何だろうとサンダルをつっかけて出て、拾ってみたら、柿だった。どうやらたった一つだけ実って、それがうまい具合に見える所に落ちてきたようだ。ヘタを木に残して実だけ落ちていて、それ程痛んでいるとも思えない。

たった一つの貴重なこの木の宝物。早速いただいたのはいうまでもない。

 

9月、柿と言えば、正岡子規。本当に柿が好きだったようだ。

 

  我死にし後は

柿喰ひの俳句好みと伝ふべし  (明治30年

 

虚子はこの句を採らなかったようで、岩波文庫「子規句集」虚子選 からは落ちている。子規という精神の軽み、在野感が伝わってくる。

 

 きざ柿の御礼に 臍斎へ

柿くふも今年ばかりと思ひけり  (明治34年

 

「きざ柿」とは何か不審に思っていたら、最近はネットに色々な情報がありそれをまとめると、「木についたままでさわす」(醂す)、きざわしという意味からきているようだ。木になったままで渋みがとれた硬いままの甘柿。というところか。

子規はこの句のとおり翌年柿を食うことなく、明治35年9月19日に逝った。激しい35年の生涯だった。私などこの倍以上も生きている。

 

子規がどんな柿を食べていたのか、以前ブログに掲載したので、添付しておく。

https://zukunashitosan0420.hatenablog.com/entry/65580916

https://zukunashitosan0420.hatenablog.com/entry/65593253

 

この時季、私も坐骨神経痛やら痛風やら関節炎やら、とっかえひっかえいろんな痛みに苛まれているが、子規が悲痛な痛みに耐えて生きて発信していたことを想い、力をもらっている。

(掲載句は、遠州森町。次郎柿の発祥地。)