子規の食べた柿・リンゴ

肉体の腐るを哭きて柿二つ(子規を読んで)
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(子規 果物帖から)
子規の「仰臥漫録」をよんでいたら、子規の食べた柿に、「江戸一」「百目」がでてきたので、先のブログに一応追加しておく。
http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/65580916.html
リンゴの品種も書かれているので。
「満紅(もっともうまき者なりと)」「大和錦」「吾妻錦」「松井(最大なる者)」「岡本」「紅しぼり」「ほうらん(黄)」および「金太郎」「つこー」の名が見える。どの名も私にははじめて聞くものだ。
梨は「長十郎」が美味いといっている。
・・・以上、末節なことだが。

さて、
子規は明治34年9月2日から「仰臥漫録」と題した日記をつけ始めた。身体をほとんど動かせず、仰向いたままで筆で書き、布団の下に隠しておいたともいわれる。
毎日の三度の食事に、なにを食べたか、排泄、包帯換え、体温、来客などよくこれほど細かくと思うほど、几帳面に記している。他人に見せるものでないので、本音が書かれているのだろう、妹の看病について怒りを吐き出したり、苦痛に耐えかね癇癪を起こしたり、門弟の句の評価、生活の貧しいこと、窓からの景色などの記事にはさまれて、自殺を思いとどまる緊迫した心理の日記もあり、思わず最後まで付き合ってしまった。

岩波文庫版の解説には、日記を書き始めたとき、「すでにその肺は左右とも大半空洞となっていて、医者の目にも生存自体が奇蹟とされていたという」と書かれている。子規はこれから1年を生き、このあと病牀六尺を連載するなど、まだまだ精神活動は衰えない。