子規の残暑

寒暖計八十五度

病人に八十五度の残暑かな  子規

(今朝はまだ涼しい)

なくなる前年、明治34年9月9日の句である。「仰臥漫録」にあるが、虚子は選句していない。

85度は、華氏だろうから摂氏に換算すると、29.4度Cになる。(そういえば昔の寒暖計には摂氏と華氏が両方表記してあった)

今の我々からすれば、なんだ大した事はないと思える。しかしほとんど体を動かせない子規にとって、残暑は、耐えがたい苦痛をもたらしただろう。

クーラーなどは勿論、扇風機もなかったので、人々は団扇や外寝、夕涼みなどで何とか凌いできたのだろう。ほんの少しのそよという風でも、ありがたかった時代である。

同じ日に

人問はばまだ生きて居る秋の風

病牀のうめきに和して秋の蝉

 

翌明治35年の「病牀六尺」7月19日に、次の記事がある

「この頃の暑さに堪え兼ねて風を起こす機械を欲しと言へば、碧梧桐の自ら作りてわが寝床の上に吊りくれたる、仮にこれを名づけて風板といふ。夏の季にもやなるべき。

風板引け鉢植えの花散る程に  」とある。

 

さてこれがどんなものだったのかは、絵もないのでよく分からない。引け、と句にあるところから紐で引くと板状のものが扇ぐ構造だったのだろうか。扇風機もない時代だった。結局季語にもならなかった。

この2か月後に子規は息を引き取る。既に体はボロボロで生きているのが不思議とさえ医者は言っている、そのなかで彼の命の炎は依然烈しい。

 

子規の頃と、昨今の暑さは大分ちがっている。この暑さは命の危険な状態、だと報道され、遠慮せず、適正にクーラーを使いなさいとまで、ご丁寧に教えてくれている。

何もかも苛烈な時代になった。終戦記念日、今日も暑くなる!

貧乏人は死ねよというかこの暑さ  ブログ子