子規の痛さを思えば

鎮痛剤きれたベッドや明け早し
 
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このところ10日ほど、痛みに責められ難儀している。
連休前に急に首肩に激痛が走り、診察してもらうと頚椎症で神経根が圧迫されているのだとのこと。痛み止めを処方されたが、うまく効いてこない。寝ても起きても、首をどう傾けても痛いうえに、右腕がやや不自由になり、お箸や着替えなど生活に支障が出てきた。睡眠もうまく取れない。困ったものだ。今日はMRIを取ってもらうことになっている。
 
と、泣きを入れたが、頭に浮かぶのは正岡子規のことだ。

脊髄カリエスで激しい痛みにさいなまれ、起居不能の中で、旺盛な批評・創作活動を続けたことは誰もが知るとおりだ。35歳で亡くなるその年の5月5日に、「病牀六尺」を新聞に連載を始めている。
その書き出し
病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の世界が余には広すぎるのである」から始めて、「苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、わずかに一条の活路を死路のうちに求めて少しの安楽を貪るはかなさ、それでも生きていれば、いいたい事はいいたいもので、・・」と続けている。

この日記風な随筆の中でも、子規はいろいろな「よしなしごと」を取り上げて、まさに言いたいことを言っているが、
誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。
と悲痛な叫び声も発している。しかし痛みに泣きながらも、楽天さというのか命のほとばしりというのか、その達観したクリアーなエネルギーがまぶしく輝いている。

つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。
であるが、「あやしうこそものぐるほし」というのは、頭脳だけがハイになっている子規の精神状態が、まさにそうなのではないか。そんな気がしてくる。
 
では、子規の俳句に、痛みを泣いて訴える句がないかと思って、「子規句集」(岩波文庫)で探したが、これが全く見当たらない。随筆などでは盛んに痛い痛いと言っているのだが、俳句にないのはなぜだろう。「子規句集」は虚子の選であるが、泣き言句は落ちてしまったのかは不明。

死の年の5月近辺の句をみると
蒲公英(たんぽぽ)やボールころげて通りけり
薔薇を剪る鋏刀(はさみ)の音や五月晴れ
薫風吹袖(そでをふく)釣竿担ぐ者は我
 
子規の脳は、肉体をはなれて戸外周辺を散策しているかのような、句に思える。