老化など屁の河童なり獺祭忌
(子規が写生した草花)草花を画く日課や秋に入る 子規
9月19日は、子規の命日だった。亡くなって117年になる。
子規は獺祭書屋主人というペンネームを使ったことがある。俳句で、子規の命日が獺祭忌ともいわれる所以である。
獺(だつ)とは、カワウソのこと。日本では絶滅してしまったが、ウソとかオソとか呼ばれ各地に生息していた。カッパの正体はカワウソだと説く人もいるようだ。
カワウソは獲った魚を並べることから、それを祭りの供物になぞらえて、獺祭という面白い言葉を中国人がつくった。最近は山口県の日本酒名となって、一気に周知度が上がったことは誰もが知るところ。
子規は本をずらっと並べている様子を、そう茶化したのだろう。
子規は35歳直前で亡くなった。体はボロボロで、「肺は左右ともに大半空洞となっていて、医師の目にも生存自体が奇蹟とされていた」という。*1
その中で、死の直前まで句をひねり、俯いたまま筆を使い好奇心にあふれた原稿を書き、そして草や果物の絵を描いた。モルヒネを使いながらである。驚くべきは、おのれの不幸に泣き言をいう記事がほとんど見当たらないことである。
この9月、子規を偲ばんと改めて子規句集や随筆を手にすると、その壮絶で、しかも楽天的で前向きな生きざまは、やはり胸を打つ。これが35歳の人間だとはとても思えない、成熟した達観した男の姿が見えてくる。何か腹の底が座っている。命が惜しいのではなく名が惜しい、のだろうか。武士というのはこういうものだったのか、などとも思わせる。
子規は「野心」とよく言っていたという。立身出世の意味もあろうが、とことん道を究めるという意味もあっただろう。
この季節になると、「野心が足りない」と子規に怒られる気がしてくる。私などは子供のまま歳だけは子規の倍も生きてしまった。そして毎日、首が痛い膝が痛い、あそこが痛い、ここがと自分を甘やかしている。
*1 「仰臥漫録」岩波文庫の解説