ヤブマメとアイヌ文化

藪豆の組み敷いて芒開かざる

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やぶやぶしたところを注意してみると、背の高い草や木に絡んでいる。スラっとした姿で、ちょっと上品な感じがする。花の紫色の印象かもしれない。

図鑑では、この花は「形の異なる3種類の花をつける写真のような開放花と、花が開かないまま種子をつくる地上の閉鎖花、それと地下にできる5ミリほどの閉鎖花」で、地下の花が一番大きな実をつけると書いている。*1

落花生を連想するが、あれは確か地上で花が咲いてから先端が地に潜るのではなかったか。

 

アイヌ文化を守る運動を続けられ参議院議員にもなられた萱野茂さんの本に「アイヌ歳時記」という小本があって、そこに「土豆」が出てくる。これはヤブマメのことで、アイヌはこれをヌミノカンとかアハとか呼んだという。萱野さんは晩秋や早春に蔓の根元を掘りその粒を集めたが、せいぜい3合から5合採れればいいほうで食料としてあてにするほどではなかった。だが味は栗のようにおいしかったと記している。*2

 

各地でそんな習慣があったのかと思い、信州の植物民俗に詳しい宇都宮貞子さんの本を探したが、ヤブマメの地下の実を食べる話は出てこなかった。東北ではどうなのか知らないが、縄文人なら充分考えられる話ではある。

こういうことには、自分も挑戦してみたくなる性分なのだが、最近気力が衰えどうもその気にならない。

 

少し話がそれるが、

この9月半ばころの新聞に、紋別アイヌの人が道庁の許可なく川で鮭を獲り警察の事情聴取を受けたというニュースがのっていた。この方はアイヌの祭りのために鮭をとったのだが、以前から先住民族の権利として許可なく鮭をとることを認めてほしいと国や道に訴えていた。それは国連の先住民族権利宣言などで国際的に認められている権利だと主張。逮捕を覚悟の実力行使だったようだ。しかし道は密漁と区別できないという理由で許可制をくずさず、両者の思惑が衝突した。

 

実は、萱野さんのこの本にも同じ事件が載っている。

鮭はアイヌの主食であったが、明治になって和人が北海道に入り込み、一方的にサケ漁を禁止した。昭和6、7年頃のこと、萱野さんの家に巡査が来て彼の父親を連行した。萱野さんは泣いて追いかけ、村人も集まって泣いた。

「毎晩こっそり獲ってきて子どもたちに口止めしながら食べさせていたサケは、日本人が作った法律によって、獲ってはならないさかなになっていた」のだ。連行されたあと祖母はアイヌ語で、「和人が作ったものがサケではあるまいに、私の息子が少し獲ってきて、神々と子どもに少し食べさせたことで罰を受け、和人がたくさん獲ったことは罰せられないのかい」という意味のことを言って泣いたと、書かれている。

そして萱野氏は、自分は各国の先住民と交流してきたが、「侵略によって主食を奪われた民族は聞いたことがない」と訴えている。

昭和6年といえば約90年前。事態は現在もあまり変わっていないようだ。。

 

ついつい話が逸れたが、イルカ漁や捕鯨では日本が世界から非難を受けて、日本人の伝統的な食文化だと反論しても声が届かず、ついに国際捕鯨委員会を脱退したことを思い出す。

 

*1 永田芳男 「秋の野草」山渓フィールドブックス3

*2 萱野茂 「アイヌ歳時記」 平凡社新書