子規のツクシ

土筆食う里ありと聞く逃げて来よ
 
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子規の妹、律は二度の結婚をしたものの家に戻り子規の世話に明け暮れた。律の仕事は、看護婦、お三どん、一家の整理役、子規の秘書、書籍の出納、原稿の浄書、にわたると子規は書いている。
そんな妹を苦痛に癇癪を起こす子規は、悪し様に罵っている。

「律は理屈づめの女なり 同感同情のなき木石の如き女なり 義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし」「彼は終に兄の看病人となりをわれり」

しかし子規は、律が居なければ一日たりとも生きていけぬことは骨身に沁みて理解していて、「余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり」という。
 
そんな妹が時おり外出できることは、子規にも本当に嬉しかったようだ。碧梧桐夫妻に誘われて、汽車に乗って赤羽根の野までつくし摘みに出かけている。
「仰臥漫録」に
律土筆取りにさそわれて行きけるに
看病や土筆摘むのも何年目  病床を三里離れて土筆取
という句が見える。さらに短歌に13首歌っている。
女等のわりこたずさえつくつくしつみにと出る春したのしも
 
子規のうまれた伊予の国では、春につくしを摘みそれを食べるのが季節の慣わしであったようで、近くの土筆はみな採られて遠くまで行かないと採れなかったという。
それが赤羽根という近くの場所で、しかも大きいものが沢山取れたので、伊予生まれの面々は狂喜したらしい。子規は、帰宅した律が喜んでひとり言を言いながらつくしをえり分けている姿をいとおしく書きとめている。(「病床苦語」)
よほど嬉しかったのだろう。子規の書き物の中でも、このくだりは読むと心がほっとする明るい部分である。
 
さて、採ったツクシは「袴をとって、一度茹で捨てながら、梅干を少し入れて煮びたしておく。酒の相手には、茹で捨てたのを三杯酢にするもよい。」と碧梧桐は説明してくれる。(「のぼさんと食物」)
私はツクシを食べることはない。春になったら試してみようか。