鮎人や瀬なぞりソーシャルディスタンス
アユ釣りをしている太公望たちを見ると、同間隔をとって見事に規則正しく並んでいる。自然にそうなるのだろうが、これは全くソーシャルディスタンスを律儀にとっている風景に見える。長閑である。そこで駄句とあいなる。
釣り好きの隣家のご主人から、アユを十数匹いただいた。
小さいから唐揚げがいいよ、
とのこと。この時期には食べたことがない。確かに大きいもので15センチほどだ。早速てんぷらに揚げて、酒の肴で味わう。軽い苦みもいかにもアユの味である。
この時期は、落ちアユというのだろうか。産卵のために川を下る。しかし今回のものは、夏のアユに比べて香りが少ない感じがした。また身が細くて全体に色が暗く、すでに産卵期を過ぎたものだろうか卵はもっていなかった。私はアユには全くの素人で詳細は分からないので、気のせいだけかもしれない。
彼からアユをいただくと、いつも浮かぶのが蕪村の句、
鮎くれて寄らで過行く夜半の門 蕪村
これは夏の若鮎だろうかと思われる。
試みに一茶のアユの句を検索してみると、23句ヒットした。若いころは吉野川のアユをよんだものが多いが、面白いと思えない。年経ると、錆びアユという季語でよんでいる。これは落ちアユのことで、産卵のために赤みを帯びるので、錆というのだそうだ。知らなかった。日本人の細やかな対象を見る目、表現に改めて驚かされる。そしていささかの悲哀も。
鵜の觜(を)のがれ~て鮎さびる 一茶
人ならば四十盛ぞ鮎さびる