一茶と子規の草紅葉の句

片脚をあげる子犬に草紅葉
 
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(みぞそば)
野原を散歩していると、草の紅葉が本当にきれいだ。
紅葉の名所の、目に鮮やかな赤や黄色も捨てがたいが、ささやかな微妙な色合いの千種が足下に広がっているのを慈しむのもまたうれしいものだ。
 
一茶のデータを検索すると、草紅葉の句が二つヒットした。その一つが次の句。
神世にもさたせぬ草の紅葉哉
 
この句は、おそらく業平の歌
ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは
 
を、もじったものと私は推測するが、
(唐紅に比べ地味なものですから)神々にもお伝えもしませんが、草がきれいに紅葉していますよ。というような意味なのだろうか?
 
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(こぶなぐさ)
ちなみに、ちはやぶるの歌の意は、高校の参考書的な本で見ると、いささか味気のない直訳だが、
「遠い神代の昔にも、(このようなこのような不思議なことがあったとは)聞いていない。竜田川において、川の水を(紅葉を散り流すことによって)美しい紅色に絞り染めにするということは」(小町谷照彦 「三訂小倉百人一首」 文英堂)となる。
 
百人一首でも人気が高い歌であり、落語「ちはやぶる」では歌意を頓珍漢に解説してわらわせているし、川柳でも
「千早ぶる神代にもないいい男」(業平はハンサムな色男)、「冬枯れに無地に流るる竜田川
などと茶化されている。(同書)
一茶の句も、これら川柳にきわどい場所にある。まあ、私の駄句もそうだが・・・。
 
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(たこのあし)
ついでに子規の句を探すと、
草紅葉ばつたが宿は荒にけり

子規の句といっても、いいとは思えないが?