椎の実を罪人となり踏みてゆく
ウォーキングの山の農道に椎の実がたくさん落ちていて、歩くとパリパリとスニーカーの下でつぶれる。些かの罪悪を感じるけれど、避けて通るわけにもいかない。
今年は例年よりも実のつきが良いように思うが、どうなんだろう。
椎は雪国育ちの私にはあまり馴染みがない木であった。けれど移り住んだ暖地では椎の木を普通に見ることになった。そして椎の木といえば、ある歌が私の記憶の奥から立ち上がってくるのだが、これまで私はこの記憶にあまり触れないでいた。
♪ 僕らは、椎の実 まあるい椎の実
以下は、記憶がはっきりしないが、
♪ お池に落ちて泳ごうよ、お窓に落ちて叩こうよ叩こうよ。
映画の歌なのは明らかで、つらい感じは残っているが、どんな内容だったかは全く覚えていない。たぶん教育映画として学校の講堂に暗幕を張って見たものだろう。
で、ネットで調べると、「しいのみ学園」という障害児の施設の映画がヒットしたので、さっそくユーチューブで観た。
ポリオで足が不自由になった息子が、学校や世間でいじめを受けるのを耐えかねた夫婦( 曻地三郎・露子さん) が、私財を投げうって施設を設立し、差別を受け籠っていた大勢の子どもたちを養護教育するという内容で、福岡市にあった実話を映画化したものだった。
施設長が宇野重吉、若い先生が香川京子で初々しい魅力にあふれている。監督は清水宏。当時、昭和29年にはまだこうした福祉施設の法律もなく、文字通り先駆的な試みの施設であったようだ。
(香川京子の演ずる若い先生 こどもたちの心を開いていく)
映画では施設運営の困難や手探りの教育の方法などについては触れていないので、今観れば、物足らない印象もある。しかし、障害児施設を社会に紹介し、障害を持つ子供らの生活の向上、福祉の考え方を啓蒙するには、大きな意義のあった映画だったに違いない。子供たちの演技も胸を打つものがある。
その後学園は、昭和54年4月からの養護学校義務制に伴い、社会福祉法人しいのみ学園・精神薄弱児通園施設へと改組されている。ライシャワー駐日大使の来訪や、天皇陛下よりの御下賜金を受けるなど社会的な注目度も高かったようだ。
永年私の心の奥に放っておいた、謎の歌の正体が、一つ明らかになった映画だった。