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(飛騨の里にある 杣小屋 2016年撮影)
「日本民謡集」には10の歌詞が載っているが、いずれも鄙びた生活臭がして面白く、次の親方金貸せの歌詞は、自分も歌っていこうと思っている。
ハアー 親方金貸せ ハアー 鋸の歯が欠けた
ハアー 鋸は嘘だよ オヤサハー 逢いに行く
ハアー 西行(さんぎょ)打(ぶ)つなら ハアー 法被(はっぴ)一枚で
ハアー 胴腹巻しんしょで オヤサハー 足袋はだし
西行(さんぎょ)打(ぶ)ち、とは方言で「挽屋から挽屋へわたり歩くこと」、「しんしょは身上(しんしょう)で財産」と、解説されている。歌詞からは、この頃に木挽き専門職人たちがいて、各地を回っていたこと、楽な生活ではなかったことなどが想像される。
里の人は気づかないのだが、山人は山人のルートで移動しており、里から気が付けば奥山から煙が上がっていたり、人の気配がすることがあったのだろう。この不思議さは世の中は重層的であって、自分たちは分からない世界の隣で生きているという観念を強いてくる感じがする。
信州で在野の考古学研究家として異色を放った藤森栄一さんに「古道」*2 という面白い本がある。
そのなかの「雑木林への道」の章で、著者が山奥でキコリの集団に逢ったことが書かれている。昭和の初期のある年の6月頃、まだ若い著者は八ヶ岳の清里終点で汽車を降り、佐久往還を辿ったが道に迷った。今の野辺山高原付近だと思われる。そして迷い込んだのが、男10人女7人の山人夫の仕事場だった。彼は何とはなしにそこで二日すごすことになる。
ただ山仕事の話は書かれておらず、Sexの話が書かれている。
男と女は「夕方のブヨが引っ込み、藪蚊の出てくる合間の黄昏の一時間」キコリ小屋から離れて、それぞれの「トヤ」と呼ぶ場所に行って交った。「栗の花は男の精、クルミの花は女の精の匂いがする。女たちは栗の花の花粉の舞う草原で力いっぱいからみあい、噛んだりわめいたりして、受精する。」「女はホウの木の、掌より大きい密毛の生えた稚葉をよく揉んで、事後にはさみ込み、子種が流れてしまわないようにする。」
「あれは少年時代の白昼夢だったろうか。いやいやそんなはずはない。」「若い女房たちの、ボロボロに裾の切れた赤いメリンスの短い腰巻の間から、つんと出た脚を、いまもおぼえている。」
この山人夫たちは、なんとヒゴ(肥後)から来ていたのだった。熊本から信州へ、である。嘘か本当か分からないが、驚きである。
彼らが唄を唄ったかどうかは書かれていない。もしかすると、今でいう日向木挽き唄に近いものを、彼らは唄ったかもしれない。そんな風に歌の種が流れてくることもあったかもしれない。
空想の羽を伸ばしてみるのも楽しい。
*2 藤森栄一「古道」講談社学術文庫
(続く)