(高山市 飛騨の里にある 木挽き小屋 斜めに置かれている木が挽かれるものと思われる。 2016年撮影)
木挽き唄は全国各地に、それぞれ別の調べで唄われている。よく知られたものでは、日向、吉野、津軽などがある。この南部の唄はもともと岩手県西和賀町沢内地区のものが広がったらしい。調べに哀愁が漂う名曲で、唄っていると霧深い山と杣人の暮らしが何かしみじみと伝わってくるような気持ちになる。
覚えたら生涯唄いたい曲である。現在練習中なので感想を。
木挽きとは、あまり馴染みのない言葉だが、鋸で木を製材する仕事、またはその仕事をする人。
「日本民謡集」*1には、「腕利きとして有名な『南部木挽き』によって歌われる作業唄。」山子唄(やまごうた)ともいうが「山子とは元来、山仕事に従事する者の汎称であるが、ここでは特に鋸を以って山仕事をする樵夫のこと。従って実際には、鋸挽きに唱和される唄と解すべきである。山唄とは異なり労作以外には応用できない。」
としている。正真正銘の鋸引き作業の唄だという意味だろう。
たしかに「ゴスリン」という訳の分からない囃詞をいれるのだが、これは鋸をひく擬音のようだ。
歌詞は多分即興でいろいろ唄われたのだろうが、現在コンクールなどでも良く唄われているのは、次のもの。
ハアー 木挽きいたようだ ハアー あの沢奥によ (ハアー ゴスリンゴスリン)
ハアー 今朝もヤスリの オヤサハー 音がするよ(ハアー ゴスリンゴスリン)
ハアー なんの因果で ハアー 木挽きに惚れたよ(ハアー ゴスリンゴスリン)
ハアー 木挽き半年 オヤサハー 山暮らしよ(ハアー ゴスリンゴスリン)
でも考えてみるとこれは里の人からみた木挽きであり、山人が口にする歌ではない。作業唄と言いながら、おかしなことだ。「日本民謡集」は昭和12年ころから町田さんが採集し、昭和35年発行だが、読んでみると上記の歌詞は掲載されていない。ということは新作かもしれない。
この歌詞は、労働歌ではなく山人を遠く思いやるやや情緒的なものであり、逆にそれがゆえに人気を得たのかもしれない。私は、この辺の詳しい解説をまだ見ていない。
(続く)