安倍川粘土搗き唄(地元の民謡を)

寒声や野山の女神に届くまで

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(安倍川の河川工事  2020.12撮影)

 

静岡には民謡がないね、ちゃっきり節と農兵節くらいなものか、と人は言う。けれど、茶摘み歌も田植え歌も盆踊り歌もあったはずであるが、静岡はそれをうまく残し伝えなかっただけだ。

 

民謡クラブにはいると、マイナーな地元の歌をいろいろ教えていただいくことができた。「日坂馬子唄」「小夜の中山節」「大井川蓮台越しの歌」「安倍川いかだ流し歌」などで、いずれも地元に残っていた鄙びた歌を、歌いやすいように作り直したものだ。私は堤防に出て発声練習をするのだが、山や川に向かってこの地の歌を歌うと、風や土や光と一体になる気がしておおらかになれる。

 

今回教えていただいているのは「安倍川粘土搗き唄」。歴史をさかのぼると安倍川は何度も氾濫して静岡(府中)の街を水に漬けている。家康が薩摩藩に命令して、困難な堤防建設をおこなわせているが、それは今も薩摩土手として一部が残っているほどだ。大正3年にも大洪水に襲われていて、この粘土搗き唄はその復旧工事の折に良く唄われたと言われている。

代表的な歌詞を挙げておくと

♪ 石を積み上げ 粘土搗きあげて  トコザンザ キワザンザ

  ホラ 明日は仕上げの 芝張りよ

 ヤレコラサンノ調子デ トコザンザ キワザンザ 

 ヤレソコダニヨー ホホホーイホイ

♪ 粘土おたかやんが 餅しょって逃げた 

  ホラ どこのいずこで 煮て食べる

 

一番めの歌詞は、労働歌そのもの。次のは世話物仕立てとでもいうのか。出てくるおたかやんという女性は、この歌の元唄となった山梨県釜無川の堤防工事の土方唄である「粘土節」にも登場する。美人の女帳場で実在の人だった言う。帳場というのは土工の女神役を務めるものだという。すさんだ現場にはそういう存在が必要だったのだろう。

粘土張りというのは、護岸に石を積んでその上部の法面に粘土を幅1尺厚さ1尺5寸ほどを帯状に張り付け、これをドウツキという杉板を持った女衆が15人ほど一列に並びピタン、ピタンと叩いていく。音頭出だしが歌うと、皆で「トコザーンザ」などとつけて囃す。

以上、(参考:「静岡県の民謡」 静岡県民俗芸能研究会 静岡新聞社

 

お囃子にある「トコザンザ、キワザンザ」は、意味は良くわからない。ざんざ節というものがあり、それは伊勢神宮遷宮の木曳歌から派生したものと、上記の本にも書いている。ザンザは川の水の流れを感じさせる。トコとキワだが、トコは川床に近い堤防の下の部分、キワは天端に近いノリ面のキワの部分をしているのではなかろうか?私のあて推測である。

 

写真は、安倍川の河川の砂利採取工事だが、今日では大型重機があっという間に川の形状を変えてしまう。写真の現場上流には、この歌にある「六番」の土手が、今も地名としてあるといい、「日よけ松」も最近の護岸工事前までは立派に生い茂っていたのだが、もうない。

民謡を楽しむ人が急減している。何とか回復する手立てがないだろうか?