風神も避けて通るやフジアザミ
9月の半ばに友人たちと富士山麓を歩いて「フジアザミ」をたくさん見かけた。大きくて棘も鋭く粗野な印象。
下の写真は「トネアザミ」に近いかなあと思われるが、アザミは種類が多いので、品種を同定するのが難しいので、自信がない。
アザミで連想するいくつかのことどもを。
アザミの根はヤマゴボウとして食べるが、「フジアザミの根は食べられるんですかね?」
と友人が首をかしげた。いわゆる「ヤマゴボウの漬物」はゴボウアザミやモリアザミやゴボウの細い根だという。ゴボウアザミやモリアザミというのは、私にはよくわからない。ただし外来のヨウシュヤマゴボウという大型の雑草が最近繁茂しているが、こちらはヤマゴボウといっても毒である。
いつものように宇都宮貞子さんの本を探すと、信州は小谷付近の話として、フジアザミを食べる習慣を紹介している。*1
「葉を扱いで軸だけにして皮をむき、塩漬けにしておくと、冬春の野菜ない時に具合いいで」
同様に鬼無里、小川村ではシャキシャキしてうまいなどという声も紹介しているが、何れも軸を食べるもので、根を食べてはいない。
第二次大戦中に日本軍の捕虜となった西洋人が、終戦後、日本軍の犯罪行為として捕虜に木の根を食わせた、と主張した。ところが実際は日本兵はヤマゴボウを食料として親切心から提供したのであった、という記事をどこかで読んだ記憶がある。
「あざみの歌」というロマンチックな歌が流行ったことがある。「山には山の憂いあり、海には海の哀しみが」と言えばわが同世代人ならだれでも次にアザミが出てくることを知っている。作詞したのは横山弘さんで、三橋美智也の「哀愁列車」や倍賞千恵子の「さよならはダンスのあとに」などで一世を風靡した作詞家だ。
歌詞の2番には「秘めたる夢を ひとすじに くれない燃ゆる その姿」 とある。
確かに凛とした風情だが、私にはそこまで情熱を受け止める花とは思えない。
ところがラグビーワールドカップで、スコットランドチームのエンブレムがアザミだった。そして歌うは「スコットランドの花( Flower of Scotland)」で、花とはアザミのことである。これがスコットランドの国歌だということだ。
スコットランドはブリテン島の北部地域でエジンバラが首都。同じ英国といっても、イングランドとスコットランドは永い覇権争いの歴史がある。国歌もイングランドを追い返した時の歌だという。
アザミは「夜の闇にまぎれてスコットランドを攻撃しようと裸足で身を潜めていたヴァイキングたちが、アザミのとげを踏み、その痛さに思わず声をあげたことによって、スコットランドの人々が侵略の危険を察知した、という言い伝えがある。」*2
スコットランド人はアザミに、非常な愛着を持ってこの花の下にアイデンティティを育んでいるようだ。野原にはアザミがたくさん咲いているのだろうか、行ったことがないので知らない。
今回ラグビーワールドカップを機に、イギリスという国家が、実はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという国の連合国であることを改めて教えられた。ワールドッカプにはイングランド、ウェールズ、スコットランドがそれぞれ1チーム、北アイルランドはアイルランド共和国と合同でチームを組んで出場しているのだという。そしてスコットランド、北アイルランドにはそれぞれ国議会があるのだという。知らなかった。
もうひとつ。アザミと言えば、陶芸家のハンス・コパーを思い出す。
もう10年ほど前になろうか、静岡市で彼の作品展があった。晩年の、と言っても50歳後半であったが、一点で立つ細長い形の造形など精神性の高い作品を作り、私はそれを見たとき息苦しささえ覚えた。
コパーはユダヤ系のドイツ人で父親が自殺するなど幼い時から厳しい境遇にあった。ナチスから逃れてイギリスにわたり、そこでたまたまルーシー・リーの工房に雇われて陶芸に携わり、リーと協同で事業を進めてやがて独立する。その意匠は2つの成型をドッキングするなど極めて造形的で、20世紀の陶芸を変えたとも言われた。61歳に筋ジスでなくなる前に、何を思ったのか作品以外の自分の遺物をすべて焼き払わせている。
その彼の生み出したフォームの一つに、「ティッスルフォーム」と呼ばれる形がある。ティッスルとはアザミのことである。アザミの花を横からみたような形をしている。これを見ていると、古代のプリミティブなもの、例えがおかしいが俳句に共通する軽みと省略に似たものが感じられる。
*1 宇都宮貞子 「秋の草木」 新潮文庫
*2 Wikipedia