秋の田の季語「ひつじ」?

園児らの一本道やひつじの田

 

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「ひつじ」という言葉を最近、俳句歳時記から教わった。意外にも、秋に田んぼの切り株から生え出た稲のことだという。

静岡は暖かい気候のせいか、秋なのにまるで田植えをした後のように稲が青々としている。そして稲穂も見える。しかし実はあまり入っていないようだ。

これが雪国ならば、緑のひこばえが出る前に、切り株には雪がうっすら積もって、一つひとつが白い小さい丸い形になり、それが羊の群れのように見えることもあるかもしれない。だが、「穭」ひつじがみられるのは暖地だから、雪の羊ではない。寒冷地の言葉ではないというだろう。

 

「ひつじ」なんていう名は、俄かには信じられないので、近くの小さい図書館に行って「新漢和大字典」(学習研究社)を開いて調べると、確かにある。漢字では「穭」と書いて音はリョ、意味は、①自生する稲②植物が野生する、とあり(国)ひつじ 刈り取った稲の株から再び生える稲、とある。そして古訓でオロカオヒ(おろかおい)と訓んだとも書いてあった。「愚か老い」ではなくて「疎か生い」と思える。

残念ながら「穭」をなぜ日本では「ひつじ」と訓むのか理由を書いてない。

ネットで調べると、秋の田は水を落として土が乾くのでひつち「干土」であり、それが語源だなどの意見もあったが余りしっくりしない。

 

ウィキペディアには次のコメントがある。

東南アジアでは、イネを一回収穫し、2,3か月してからさらに収穫する「ヒコバエ育成農耕」という農耕がある。

佐々木高明によれば、ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島奄美大島等で、旧暦の12月に播種、1月に移植(田植え)し、6~7月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ、8月~9月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする農耕文化が1945年まで行われていた。また佐々木の調査によれば、与那国島で同様の農耕が1981年まで行われていたという。

 

f:id:zukunashitosan0420:20191121085625j:plain(実も入っていそう)

私は、この論文を読んでいないけれども、佐々木氏は、稲作以前に焼き畑農業がおこなわれていて、稲作文化とは別の文化(照葉樹林焼畑農耕文化)がありそれが連綿と日本文化の底流に流れているのではないか、と唱えた方だ。

彼は稲の渡来を紀元前2,3世紀ごろ揚子江下流域から東シナ海を横切って南朝鮮や日本に来たものと考えている。(「稲作以前」NHKブックス

 

そうしてみると、当てずっぽうだが、ヒッツ、ヒツジという語は、江南から稲をもたらした人たちの言葉だったのかもしれない。その言葉は、農法とともに南島や九州などの暖地に定着した、やがて季語に昇格したものかもしれない。

 

江戸時代には

ひつぢ田の案山子もあちらこちらむき 蕪村

ひつぢ田や青みにうつる薄氷    一茶  

なんていう句もあるので、その頃には関西から関東にまで定着していたかもしれない。

子規の句も併せて載せておく。

ひつじ田に三畝の緑をしぐれけり    明治28年

ひつじ田や痩せて慈姑の花一つ     明治23年

 

それにしても、俳句人口がこんなに多いのだから、だれか一人くらいこの不思議な季語を解明してほしいものだ。私が知らないだけなのかもしれないが…。