ヒガンバナの隠された過去

やり残したことありません ー 曼珠沙華
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庭のシロバナ
赤と白の彼岸花が咲き始めた。(白萩も咲き出した)
花が咲くとその花について書かれた本を引っ張り出して読む。毎年同じ花が同じ頃咲くから、同じ頃、同じ本の同じところを読むことになる。
岩波新書に前川文夫著の「日本人と植物」がある。もう絶版のようだ。著者は東大教授を務め「史前帰化植物」などの概念を打ちたてた植物学者だが、なかなか発想が地球規模でおもしろい。
この本の中で、「ヒガンバナの執念」と題した章がある。
被爆の直ぐ後の長崎で植物の調査をし、浦上の近くでヒガンバナショウジョウバカマのように小さく咲いていたこと、その球根を持ち帰ったが、成長点が放射線でやられていて枯れてしまったことなどが書かれている。
「史前帰化植物」とは、有史以前の古さまで遡っての帰化植物で、著者は、
①稲作に伴う主として秋にみのる一年草で東南アジアを原産地とするもの、
②麦作に伴う主として冬越しの2年草でヨーロッパ地中海出身のもの、(①②は種で渡来)
③地下茎や根で入ってきた主に中国系のものに区別し、
ヒガンバナは③だとしている。
この論を中尾佐助さんが補足して、「ヒガンバナの外にミョウガ、シャガ、ショウブ、オニユリクワイなどの地下茎を持つもの、さらにウルシやカジノキを加えている。そしてこれらを照葉樹林文化の初期のものの残存であろうとの見解である。」
③は雑草としてではなく何か目的を持って、持ち込まれただろうと思われ、ヒガンバナは飢饉の際の代用食だったろうと、前川氏は推測している。ヒガンバナは有毒だが水で晒せば食用になるのだという。かつて稲とともにヒガンバナを携えて、南のほうから人々が小さな船で荒波を渡って日本にやってきたのだろう。・・・この説は現在も有力な説である。
いたる所に咲いているヒガンバナにも、こんな隠された過去があり、以後連綿と生命を伝えていることに改めて驚く。

上記の中尾佐助さんの説によれば、先日ミョウガについて私の夢想を述べたが、あながち見当はずれでもなさそうだ。
(参考) http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/65179829.html
また、カジノキといえば信州の諏訪大社のご紋である。ご神木でもあるだろう。この縄文の匂いのする古い神社の深い謎に、またカジノキの渡来という謎が私にかけられたようだ。