木喰さんの笑い

木喰は笑いなされて堂の秋
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秋がそうさせるのか、このごろ木喰さんの笑顔が思い出されてならない。
特に、3年前越後の柏崎十王堂で会った、写真のおびんずるさんが心から離れない。
木喰さんを微笑仏とも言うようだが、これは満面の笑みである。恐らくこの笑みを見た人は誰でも自然に笑いがこぼれる。みる人が泣いていても怒っていても、このお顔は一瞬にしてかたくなな心を溶かし、胸の奥から柔らかい暖かい気持ちを春のせせらぎのように溢れださせる。笑いの力が波のように寄せてくる。
私も思わず小さく笑い出し、図らずも胸がジーンとしてしまったことを、改めて思い出している。

堂を管理されていた方は、ひょいと仏さんを手にされて裏側を見せてくれた。その無造作とも言える扱いにも驚かされた、が、木喰さんや円空仏は村の子どものおもちゃにもされていたものも多かったらしい。貧しい村人の生活の中にあって、奈良京都の大寺院の国宝とは距離感が違うのである。

埋もれていた木喰仏を再発見したのは、民芸の柳宗悦である。甲州で偶然目にした仏像に惹かれたことを機縁に、資料を渉猟し、仏像を全国に捜し歩いて、木喰の概要を明らかにした。大正13年のことである。この発見がなかったら木喰は永遠に埋もれていたかもしれない。十王堂にも柳の鑑定書?が額に入れて飾られていた。

一方、大正8年には、和辻哲郎の「古寺巡礼」刊行されている。いうまでもなく日本の寺や仏像美術の見方に大きな影響を及ぼした書で、世界文化の博識と若々しい情緒にあふれ今でもその魅力を失わない。
だが柳宗悦和辻哲郎の間にあるこの大きな隔たりはなんだろう。和辻が民芸について、柳が「古寺巡礼」についてどう考えていたか私は知らない。気が向けばその隔たりを調べてみたい気もする。民と官、地方と中央、裏日本と表日本、非アカデミックとアカデミック、現世と来世、肯定と否定、浄土教と般若心経などの紋切り型の設問が私の頭に沸いてくる。
円空にも木喰にも、国宝指定はないのだと聞く。