木喰の微笑みを見に行く

柿一つ供えてありき微笑仏
 
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山梨県身延町で「木喰展」が開かれているので出かけた。
木喰上人はご当地の出身であり、また今年は生誕300年にあたるのでこの企画になったようだ。NHK日曜美術館でも紹介されたため、遠来の客もあり駐車場はいっぱいだった。
会場にはいわゆる微笑仏が50点以上も展示されていて、なかなかな見ごたえ。町が主催した企画展としては、規模・質ともに拍手をしたいレベルだと思った。
 
私は、2,3のお寺やお堂、博物館などで微笑仏を拝見していたが、実は、微笑仏に、ある迎合的な俗っぽさを感じていた。そのため若いころは円空仏の方がずっと芸術的で信仰的におもえていた。
ところが、新潟県柏崎の十王堂にうかがい、お願いして開けて見せていただいたことがあり、その中の一体、笑い顔のおビンヅルさんに出遭って以来その笑顔が私の心に沁みついてしまった。何かにつけてそのお顔が心に浮かんできて、そして、自分もできるだけ人生を笑ってと思うようになっている。不思議な影響力だ。
今回もたくさんの像を見せてもらった。けれど、本当言えば一つあればいい。手元にあればなおさらだ。
 
さて、上人は93歳の長寿で老いてますますパワフルな男だったようだ。

いくつか「自身像」の展示があったが、その中で日本民芸館所蔵の「自身像」は面白い。
上の写真のチケットの像が正にそれだ。
写真では分からないが、彼は大きなヒョウタンの上に乗っている。ヒョウタンには、多分酒が入っているのだろう。
頭はテニスボールほどの大きさ。後ろに回ってみると、その背から丸い頭にもノミの痕が鮮明に残っていて、それを見ていると、嬉々としてノミをふるう超人の息遣いが聞こえてきそうな気がした。しかも大勢の農民が撫で、そして毎日丹念に乾拭きされたのだろう、そのノミ痕もてかてかに光っている。庶民の願いのしみ込んだその色合いが実にいい。
自身像からは、彼が相当の自信家であったような感じがしてくる。他人に対してではなく、神仏の前の自分に対して。
 
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(これは切り絵。焼津市の八木勝行さんの作品の一部。静岡市丸子の歓昌院で展示されていたもの。
上人が彫る姿のイメージで、八木氏は他にも沢山の木喰の像を素晴らしい作品にしておられる。)

さて、上人の生誕300年というと、1718年の生まれということになる。没年は1810年
ちょっと俳人と対比してみてみる。
蕪村は1716年生まれで1784年没。ほぼ同年齢である。一茶は1763年から1828年と少し後輩だが、木喰は長寿だったので、蕪村と一茶の両方に重なることになる。庶民性ともいえそうな何か共通するものを感じる。教科書的に言えば、化政文化になるのだろうか。

よく比較される円空は1632年から1695年。芭蕉は1644年から1694年。こうしてみると、円空芭蕉とは同世代で、しかもストイックな求道的な面で相通ずるものがありそうだ。こちらはいわゆる元禄文化の時代。

直感的に言えば、円空芭蕉は垂直・理想、木喰と蕪村・一茶は曲線・現実。
 ・・・こうした紋切は無理があるが・・・。

まるで中学生の文化論みたいになったが、やはり時代の空気があるのだろう。円空、木喰の両者を文化史から説いているものもあるのだろうが、私はほとんど論文などを読んでいないので知らない。

それにしても、展示された微笑仏は撮影禁止、もちろん触ることも許されない。
かつて子供のおもちゃにされた仏さんも、美術品として名声が上がれば上がるほど、信仰からは遠ざかるようだ。

木喰さんの歌を一つ
「夢の世を 夢でくらすな 夢さめて 植えおく種は 後の世のため」