熟れぐあい鵯(ヒヨ)に教わる柿日和
(生らせすぎかな、来年はダメかも)
今年は生り年なのだろう、庭の柿も例年よりたくさん実った。この数日、小鳥が飛来してにぎやかになった。そんな楽しい団欒をヒヨドリがけたたましく恫喝して追い散らしてしまう。
私は、その鵯を追い払う役目で、枝にカンカラを下げて紐を這わせ、いわば鳴子を鳴らして見張っている。
しかし柿は古くからある植物のはずで、現に柿本人麻呂という名もあるくらいだ。
ということは万葉の時代には渋柿しかなかったわけであり、当然、柿本さんの家の庭の柿も渋柿であった。
渋柿本人麻呂、というわけだ。
柿剝くや台風と同じ左巻き
(幾分虫にやられているが、手入れをほとんどしないのでまあまあ)
これはまた今後の宿題ですね。
ただいつものように勝手に妄想すれば、柿本人麻呂という名前に、柿の朱の華やかさや豊饒さを感じとっていたが、当時はそのようなイメージはなかったのかもしれない。もっと地味なもので、たとえば柿渋の販売などをしていた村の有力者、みたいなイメージなのかもしれない。