柿を干せば

柿吊るすミロとマティスの青い空
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今年もわずかばかりの柿を剥いて、ベランダに吊るした。もちろん柿は好物だが、こうして手間をかける、その手間がまた楽しいのである。二日ほどして揉んでみたら、もう相当に柔らかい。このところ曇天続きなので、黴ないか心配だ。
 
子どものころの奥信濃干し柿といえば、思い出すのは串柿である。
串は萱の棒を使った無造作なものが一般的だった。カヤの棒に柿の果肉がくっついてちょっと始末が悪かったものだが、それを歯でちぎったり舐め取ったりした。幾分カヤの味がした。

宇都宮貞子さんの「草木の話」には、柿の品種から食べ方についてこと細かに書かれていて、昔の信州の暮らしに柿が大きな位置を占めていたことが伺える。柿渋の作り方・利用方法も聞き取っていて、なかなか大切なものだったようだ。
その中で大鹿の小島さんは、ハギの棒に十コずつさし、それを横に十本吊ったものを一連といって、それを売ったことを話している。大鹿は現在の伊那谷にある大鹿村だろう。

今市販されているものは、ほとんどが竹串だと思われる。当然だが、ところによって串の素材がいろいろに変わる。

干しながら、妣も柿が大好きだったことを思い出す。