赤い実の物語-1

赤い実や冬の小鳥の物語
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万両にヒヨドリがきた
冬は赤い実が目に付く。今日は、庭に実をつけている万両、千両、十両をラインアップ。
まず万両だが、本名はヤブタチバナヤブコウジ科。
次に千両は、クササンゴでセンリョウ科。
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次いで十両は、ヤブコウジヤブコウジ科。
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とくれば、当然百両、一両もあるわけだが、私の庭にはない。万両から一両まで取り合わせにしてあり、特に一両は、「蟻通し:アリドオシ」といわれる細い棘があり、これらをそろえて、お金が有り通す、という縁起担ぎのお話にしたててあるようだ。

拾い読みなので、正確ではないが、カレル・チャペックの「園芸家12カ月」(中公文庫)ではこうした世俗的な鑑賞態度は見られない。また西洋では基本的には花にポイントがあるようで、葉や実をメインにしたものは少ないように思える。

中尾佐助著「花と木の文化史」を開くと、日本の古典園芸植物という概念が出てくる。江戸時代に発達したが明治以降は衰えた園芸で、その例として、マツバラン、イワヒバ、オモト、フウラン、フクジュソウなどをあげ、そこに、ヤブコウジマンリョウ、カラタチバナもいれている。さらに変化アサガオ、モミジなども加えている。
そして、「いずれも非常に奇妙な花や葉をもつものが多い。しかしその品種改良の美学が、本能的美学とはなはだしくことなっていて、西洋にはかつてない特殊なジャンルをつくっている。その結果、古典園芸植物は、高度な発展を遂げたにもかかわらず、西洋人にはまったく理解力が欠けていて、国際的評価はほとんどゼロといった存在になっている。
と書いている。
盆栽が国際的な関心を集めている今日から見れば、状況はやや変わっているのだろうが、確かに内に縮んだマニアックな精神が潜んでいることは確かに思える。
またヤブコウジについては、思いのほか歴史のある植物だとして、中国では古くから薬用植物として記されているし、日本では万葉集に5首「山橘」でてきて「このように中国でも日本でも注意をひいたのは不思議ともいえよう」としている。そして貝原益軒が「花譜」でヤブコウジを説明している、身分相応に生きることの美しさの哲学をひいて、そうした近世的哲学が古典園芸美の根底にあるのではないかとしている。

こういわれてしまうと、自分のこれら赤い実を見る目に、身分相応で背伸びをしないという近世儒学思想が生き残っているのかと、いぶかしくも思うが、素人考えでは、万葉集の古代から日本人がこれに惹かれていたこともあり、やはり繊細な色彩、季節意識のなせる技だと考えるほうが妥当にも思えるのだが・・・。