茗荷の季節

蕎麦に三つ残りは梅酢に花ミョウガ
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庭の隅に植えてあるミョウガが少し採れた。既にたくさん市販されているが、自宅のものにはやはり愛着が湧く。これでお蕎麦を食べることにする。

ミョウガは苦味というのか、辛味というのか、どう表現すればいいのか迷うところだが、なんとも独特の味である。韓国や中国の料理にはあまり使われないようなので日本だけのものかと思ったら、そんなことはない。
もともと東アジア原産で、日本では野生種がなく5倍体であることなどから大陸から持ちこまれて栽培されたものと考えられている。(wikipedia参考)

魏志倭人伝」に記述があるというので、調べてみると、
  薑(きょう)、橘、椒、襄荷(じょうか)もあるが、それらを用いて料理したときの美味しさを(倭の人は)知らない。
と書かれている。薑(きょう)はショウガ、襄荷(じょうか)がミョウガだという。
魏志倭人伝」は、3世紀の終わりころの文献で、いうまでもなく卑弥呼邪馬台国の記述がある重要な文献だ。この文からみると、倭人ミョウガを食べない、中国では当時はミョウガを食べていた。ことが判る。しかし中国では、何時からかあまりミョウガを食べなくなり、今日に至っているということらしい。
日本においては、野生種がないことから、もともと大陸から栽培種がもたらされたらしいことは先に書いたとおりだが、だとすると、邪馬台国ではミョウガを持ち込んだ当時の渡来人たちの食慣習が失われていて、既に食さなくなっていたということに読める。
ただしショウガ、橘、山椒などのわが国に根をおろした伝統的味と並列されていることなどから考えて、魏の使者は、たまたまこうしたものを邪馬台国の人が使うのを知らなかったのか、または、別の小国などでは使用していたが、たまたま邪馬台国ではこうしたものを食さなかったのかもしれない。今となってはそれはわからない。
 
中国の東南部を経て、わが国にもたらされたということは、実は照葉樹林文化の圏域と重なるということになる。わが国の民族・文化のルーツには、揚子江流域の人々の渡来があったということは定説になっており、米やミカンと同様にミョウガもまた、刺青をした江南の人々が丸木舟に載せてきたものだと、想像することが許されるかもしれない。

その後、邪馬台国を築いた人々が朝鮮半島から渡来し、彼らにはミョウガを食べる習慣がなかった。と、考えることができるかどうか。
どこから来たのか、解からない謎を味で隠している草である。

ついでながら、このミョウガ、野菜図鑑にも野草図鑑にも顔を出す。人間との距離感は、彼岸花に似ているかもしれない。