ヤブカンゾウ暑き野に暑く立ちたり
毎年この時期になると、堤防の草が奇麗に刈り取られてしまう。驚いたことに、最近は堤防の斜面を、傾いだまま草刈作業する機械が現れて、これがあっという間にきれーいに刈り取ってしまう。確かに効率は、抜群によさそうだ。
だが、ヤブカンゾウもオニユリも、もう咲く寸前にまで生長していたものが、影も形もなくなってしまう。仕方ないとはいえ、いささか残念である。
しかし刈られても、また来年しっかり芽を伸ばすのだからたくましいものだ。
実は、
ヤブカンゾウとオニユリを、少し持ち帰って鉢に植えておいた。両方ともうまくいっている。
写真はそのヤブカンゾウ。
春先には山菜として食べられる。アマナともいわれるが、私は食べたことがない。
宇都宮貞子さんは
「ズク(精)なしな私などはめったに野草も採らないが、アマナのぬたと、ヨモギのこの草餅だけは毎春一回は作る。アマナの根元を少し掘った白い部分は柔らかで、糊と甘味があっておいしい。」と書いている。(「夏の草木」新潮文庫)
この花はおしべが一部変化して八重のようにくしゃくしゃになる。一重のものが母種で、ホンカンゾウといい中国にあるが日本にはない。
八重はその変種であり、牧野富太郎氏によれば
「地質時代の昔の日本がまだアジア大陸に地続きになっていた時分にこの八重咲品のみが日本に拡がっていて、その後中国と日本の間へ海ができた後ち今にいたるまでこの八重咲品のみが日本の土地へ遺され、親子生き別れをしたものだ。」(「植物一日一題」ちくま学芸文庫)
意外な歴史があるものだ。もしかしたら渡来した太古の人間が、食料として八重だけ日本に持ち込んだということも、考えられるのかどうか?
なお、カンゾウはワスレグサともいわれてきたが、カンゾウを甘草と書くのは間違いで、萱草が正しい。萱が元来忘れるという意味の字で、それで和名がワスレグサになったのだと、牧野さんは書いて、最後に次の歌を載せている。思わず笑う。
忘れぐさ忘れたいもの山々あれど、忘れちゃならない人もある